どーこだw エイプルフール🎵

今日は、的矢かきの日
有限会社佐藤養殖場の
初代社長・佐藤忠勇氏が人生を
かけて生み出した牡蠣養殖法
の功績を讃え、
同氏の命日となる
4月1日(1984/昭和59年)に
同社が記念日として
制定しております。
佐藤忠勇氏が開発した
牡蠣養殖技術を活かして
佐藤養殖場にて
生産される牡蠣で、
三重ブランド認定第一号
の牡蠣となっております。

佐藤養殖場が作り出す
「的矢かき」

「的矢かき」は、三重県志摩半島
の東側にある「的矢湾」で
養殖された牡蠣のことで、
三重ブランド認定第一号にも
選ばれた高級ブランド牡蠣。
「牡蠣嫌いが、牡蠣好きになる牡蠣」
とまで言われる的矢かきは、
身は艶がありふっくら、
「旨味・甘味・塩味」が
バランスが素晴らしく、
とてつもなく上品で
美味しいまさに至高の逸品。
さらに牡蠣特有の苦味、えぐみ、臭み
などがまったくなく、
誰もが好きになると
いわれる牡蠣です。
的矢かきは今や世界に誇る
ブランド牡蠣で、今や日本中、
世界中の有名料理人が
その品質を認め取引をしているほど
の牡蠣なんです。

佐藤養殖場の
伝統の技術とこだわり

まずは、佐藤養殖場を
取材していてわかった、
的矢かきの美味しさの
秘密をご紹介していきましょう。
実は佐藤養殖場は、
牡蠣の食文化にとって
最重要の特許を取得している
日本最高峰の牡蠣養殖場。
「感動する牡蠣をお届けする。
そのために手間隙は惜しまない」
的矢湾という最高の環境に加え、
情熱を持った作り手の
こういった想いと確かな技術が、
ブランド牡蠣「的矢かき」が
産み出しているといえます。
では、その技術とこだわりを
少しだけ見ていきましょう。

垂下式牡蠣養殖法
(すいかしきかきようしょくほう)

この養殖方法は、
佐藤養殖場の創業者・佐藤忠勇氏が
確立させた技術とのこと。
牡蠣は通常、大きくなるまでに
2〜3年はかかるそうですが、
そんな牡蠣をわずか1年で
十分な大きさにまで成長させるのが、
「垂下式牡蠣養殖法」
という特別な方法なのです。
1年で育て上げた牡蠣は、
通常の2〜3年かかる牡蠣とは違い、
身はふっくらとして艶があり、
牡蠣特有のえぐみや苦味がない
牡蠣になります。
まさに、的矢かきの品質を
支える技術といえますね。

牡蠣の生育に最適な環境作り
「牡蠣の良さは自然の恵みで
60点まで決まる。
ただ、
これを100点の牡蠣に
引きあげるのは職人の技術だ」

佐藤養殖場の社長・濱地大規氏
はこう言います。
佐藤養殖場では、的矢湾の海を
知り尽くした作り手が、
潮の流れなどを読んで
牡蠣養殖の位置を変えたり、
牡蠣が十分な栄養を得られるように
牡蠣の入った籠の高さを変えたりと、
天然の自然任せでは絶対に
作ることのできない
極上の牡蠣に育て上げています。
さらには、なんと生育中の牡蠣の殻を
ひとつひとつ手作業できれいにし、
また海に戻すという作業まで
行っているとのこと。
これは、牡蠣が摂取するはずの
養分を牡蠣の殻についた
フジツボなどが奪わないよう、
ちゃんと牡蠣が十分な栄養を
取れるように、出荷前だけでなく
生育中にも殻をきれいにする
作業を必ず行うとのことです。

滅菌浄化する特許技術
「牡蠣はあたる」っていう
イメージありますよね?
私ももちろんそのイメージは
持っていましたが、
佐藤養殖場の牡蠣はすごい!
佐藤養殖場では、滅菌した海水で
20時間牡蠣を飼育し、
牡蠣を滅菌するという方法により、
極めて安全な牡蠣を出荷しています。
この技術は、佐藤養殖場が長年研究を
重ねて世界で初めて完成させた、
牡蠣を滅菌する画期的な浄化方法で、
佐藤養殖場が特許を取得した
特別な技術なのです。
この技術により、日本で一番厳しい
牡蠣の出荷基準を持つ三重県の
基準よりもさらに厳しい自社基準を
クリアし、安心で安全な牡蠣を
作り出しているとのことです。

佐藤養殖場のドラマ
佐藤養殖場の歴史は、
日本の近代牡蠣養殖の歴史
佐藤養殖場が今日に至るまでには、
様々なドラマがあったそうです。
佐藤養殖場の創業者・佐藤忠勇氏は、
まさに牡蠣養殖の第一人者であり、
佐藤養殖場は日本牡蠣養殖の
パイオニア的存在。
先述したように「垂下式牡蠣養殖法」は
佐藤忠勇氏が研究の末に
確立させた技術で、
これにより日本の牡蠣養殖は
劇的に進歩したといいます。
また、今となっては当たり前のように
牡蠣を食べている日本人ですが、
実は戦後アメリカ軍より
「日本の牡蠣は不衛生だから
食べないように」という指令があり、
牡蠣養殖の需要が激減した
時期があったそう。
ここでも創業者の佐藤忠勇氏は奮起し、
先述の牡蠣浄化法を
確立させたことにより、
日本でも安心して生牡蠣が
食べられるようになったようです。
まさに、日本の牡蠣業界を
支え続けた存在が、
佐藤養殖場なのです。
「今、日本で生牡蠣が食べられるのは
佐藤養殖場のおかげ」、
といっても過言ではないですね!

佐藤養殖場の危機
そんな佐藤養殖場ですが、
海洋状況の激変や経済状況の変化に
巻き込まれていく、
厳しい時代があったようです。
牡蠣の大量死を何度も
起こすような海洋環境の大きな変化や、
近年の世界的感染症の影響は大きく、
佐藤養殖場の経営環境は
危機的な状況を迎えてしまいます。
そこで佐藤養殖場の再建を
任されたのが、
現在の社長である濱地大規氏。
実は濱地氏が社長就任の
打診を受けた時点で会社の負債は
かなりの額になっており、
濱地氏も社長就任の打診を
受けるかどうか、
本当に迷ったといいます。
ここで濱地氏を動かしたのは、
「佐藤養殖場は、日本の牡蠣業界に
とって特別な存在であり歴史。
この存在と技術が失われてはいけない」
という自身の強い想いと、
「なんとか会社を、的矢かきを、
救って欲しい」と直接願い出た
従業員たちの熱い想い。
ここから、新生 佐藤養殖場の
歴史がスタートします。

佐藤養殖場の今
再建を託された濱地社長は
様々な改革に着手。
100年の歴史と伝統を
しっかりと受け継ぎ、
変えてはいけない大切な
部分はしっかりと継承する。
ただし時代に合わせて
改革しなければならない部分は、
生産・販売・流通全てにおいて
徹底的に見直す。
特に、佐藤養殖場が目指すべき
方向性を明確にし、
直営レストラン「的矢かきテラス」を
スタートさせて、
今ではより多くの方々に
的矢かきを楽しんで
もらえるようになっているようです。

佐藤養殖場・濱地社長の想い
佐藤養殖場の濱地社長は、
魚の養殖業を営む家に産まれ、
自身も16歳から水産業関係に
従事し続けているまさに海の男。
カツオの一本釣り漁船から始まり、
巻き網漁船、養殖魚網元、
活魚車での運送、市場従事、
卸小売業にいたるまで、
水産業の本当に最初から
最後までを20年で全て経験済み。
濱地社長の根本には、
これら20年の経験の中で強く感じた
「日本の水産業を盛り上げたい」
という強い想いがあるといいます。
「水産業の過疎化、海洋変化、
担い手の減少、自給率の低下など、
水産業を取り巻く環境はとても厳しい。
そんな中で、的矢かきの養殖業を
通して持続可能な水産業を
確立させることで、
水産業やその生産者、
ひいては日本の海の産物を
守っていきたい」
濱地社長はこのように語ります。
実は佐藤養殖場の社長になる前には、
大手を含む色々な企業から
転職のオファーをもらっていたそう。
ただ、「牡蠣業界にとって
大切な存在である佐藤養殖場を
失いたくない」という熱い気持ちと
「一次産業である水産業に
一生関わり続ける」
という強い想いから、
今回の再建に踏み出した
とのことです。

佐藤養殖場のこれからの100年
佐藤養殖場は創業約100年。
「当時の常識を破って近代牡蠣養殖の
パイオニアとして歩み続けた
これまでの100年に対し、
さらに100年続くための
基盤つくりをしていきたい」
濱地社長はこう話してくれました。
今後は、新しい牡蠣養殖方法の確立、
海洋変化への対応、
また経営基盤の安定のために、
牡蠣の養殖だけにとどまらず、
観光・飲食などを広く行っていく計画。
そんな中、「感動する牡蠣をお届けする」
この1点だけは必ず守ると
約束してくれました。
濱地社長は目下の目標として、
次のように語ってくれました。
「『世界の的矢かき』として
海外展開を強化し、
日本だけにとどまらず、
世界中の牡蠣好きの人たちに
笑顔と感動をお届けしたい」
的矢かきが世界の頂点を
取る日が待ち遠しいですね。

的矢かきの生みの親
「佐藤養殖場」まとめ

濱地社長にはたくさんの
お話をお聞きしましたが、
その最後にこんなことを
おっしゃっていました。
私の名前は
『濱地大規(ハマジタイキ)』
漁師の子として生まれた上に、
名前に『ハマチ』と
『タイ』が入ってるんです。
しかも星座は『魚座』。
私がこの仕事しているのは
もう運命、宿命ですわ(笑)
的矢かきと水産業を守る、濱地社長。

 

的矢かきは知らなかったでしゅw

良く食べてた牡蠣は、

広島の牡蠣で、次いで、

三陸の牡蠣でしゅw

最近は、北海道厚岸の牡蠣でしゅw

何処の産地も美味しいと思いましゅw

的矢かきを、

牡蠣好きとしては、

是非食べてみたいでしゅw

どうか巡り合いましゅようにw