どーこだw もんもんしてましゅw

今日は、出雲そばの日
日本三大そばのひとつに
数えられる島根県の出雲そばは、
当時信濃国松本藩(現:長野県)の
城主だった松平直政が、
江戸幕府3代将軍徳川家光に
出雲国松江藩へ国替えを
命ぜられた際に、
松本藩からそば職人を
伴って移ったことが
その後のそば発展のきっかけ
とされていることにちなんで、
出雲市や松江市のそば組合が
集まって結成した
「出雲そばの日記念日登録実行委員会」
が、その命を受けたとされる
1638(寛永15)年2月11日に
ちなんで記念日を制定しております。

島根県出雲地方の郷土料理
「出雲そば」は
そばの実を殻ごと挽いたそば粉で

作ったそばを主に
「割り子」や「釜揚げ」にして
食べる島根県出雲地方の郷土料理です。
そばの実を殻ごと挽くので
麺は濃い黒色で、
香りが強くて風味が抜群です。
普通のそばと比べて
「出雲そば」はコシが強くて
歯ごたえがあるので、
さわやかな喉越しを
楽しむというよりは
良く噛んで味わいます。

出雲そばの発祥と歴史
元々は江戸時代に救荒作物として
蕎麦の栽培が奨励された事により、
出雲地方でも蕎麦の栽培が
盛んになりました。
痩せた土地でも短期間で
栽培できる蕎麦は小作農民が
多かった出雲地方では
農民が年貢米以外に
自分達が食べる為の作物
として作られていました。
出雲地方に本格的に蕎麦が
広まったのは、
江戸時代の寛永15年(1638年)に
蕎麦処である信州松本から
松平直政が出雲松江藩主として
着任した際に、
信州の蕎麦職人を伴って
蕎麦を広めたのが
きっかけといわれています。
きっかけは信州の蕎麦ですが
次第に出雲の風土に根ざした
蕎麦が作られる様になりました。

「出雲そば」は「信州そば」の様に
つゆに入れたりつけて
食べるのではなく、
出し汁をかけて歯ごたえのある
蕎麦の麺を噛んで
味わうといったものです。

現在では松江市内や
出雲市の出雲大社周辺に
多くの店舗があり、
各店独自の味を競い合っています。

「信州そば」の定義 
「信州そば」とは
長野県信州そば協同組合の登録商標
であるそば粉を40%以上の
干しそばを指します。
 製麺業者や飲食業者は
登録商標である「信州そば」
の呼び名を正確に使います。

「割り子そば」の特徴、歴史と食べ
「出雲そば」の代表的メニューの
一つが「割り子そば」です。
出雲地方の蕎麦屋には
必ずといってよいほど
「割り子そば」のメニューがあります。
「割り子そば」のルーツは
江戸時代に出雲大社を
参詣した旅行客向けの弁当です。
「出雲そば」を道中持ち歩いて
食べられるようにと
弁当箱に入れて売り出した
のが「割り子そば」
のはじまりといわれています。
当初は四角い箱やひし形の箱など
様々でしたが、
地元の趣味人の集まりの「連」
と呼ばれるグループが
衛生上の観点から現在の様な
丸い弁当箱に蕎麦を入れる事を
進める様になりました。

「割り子そば」の正しい食べ方は
次のようになります。
まず、ネギ、海苔、鰹節、
もみじおろしなどの薬味を
好みの量を一段目の
割子そばにのせます。
そして好みの量の
そばつゆを軽くかけます。
出雲そばのそばつゆは
大概濃い目に作ってあるので
あまりかけ過ぎない様にします。
一段目のそばを食べ終えたら、
容器に残ったつゆと薬味は
捨てずにそのまま二段目
のそばにかけます。
もちろん、好みで薬味や
つゆを追加しても構いません。
そして二段目のそばを
食べ終えたら、
また残ったつゆと薬味を
三段目のそばにかけて
食べるというわけです。
これは昔の節約から
生まれたともいえますが、
こうした方がそばの
旨味がつゆに染み出して
更においしくなるからです。

「釜揚げそば」
「釜揚げそば」はそばを
茹でたら茹で汁ごと
丼に入れて出し汁を
好みの量入れて食べる蕎麦です。
茹でたそばは水で締めないなので
柔らかい食感ですが、
茹で汁には蕎麦を茹でた時に
出る蕎麦の栄養分が
含まれているので、
蕎麦の旨味や風味を
丸ごと味わえるともいえます。
別に出される出し汁を
自分で入れて濃さを
調節できるので、
自分好みの濃さに
できるのも利点です。

 

出雲そばは食べた事ないと、

思ってましゅたが、

島根のばちゃんが作ってくれた

「田舎そば」が、

出雲そばかもしれましぇんw

色合いといい、硬めの触感と言い、

似てると思いましゅw

蕎麦好きとしては、

香りが強いばっちゃんの蕎麦も

さいしゅきでしゅw

ばっちゃんにそば粉送ってもらって、

十割蕎麦にチャレンジしてみましゅw