人と人、マニュアル化、パチンコ屋、あざ~す | くろべえのパチンコ日記

くろべえのパチンコ日記

元パチプロの「普通に」勝つ考え方をお教えします。
~ホントはたいした話じゃないんだけどね!

一度どこかで書いたことがあります。

昔のパンチパーマ&煽りマイクはさておいて、どうも満面笑顔の非常に礼儀正しいというより正しすぎる店員さんもイマイチ。


「はい、いらっしゃいまへ~~~、どーぞぉ~」

声の張りを優先する余り、滑舌が悪くなる。

こっちにどう伝わっているかより、ただ単に大きく元気に声を出すことに重きをおいているのでしょうか?

きっとそういう風に指導されているのでしょう。

まだ開店したばかりでホールの騒音もほとんどない、朝の並びからの入場。

入り口を入ってくる客の両サイドに居て、ほとんど耳元でそんなに大きな声を出す意味がわかりません。



居酒屋なんかでよく見る、かけ声にも似た客への挨拶もこの手合い。

店員A「7番さんお帰りで~す」

全店員「あいした~」

一日何回も何回も繰り返すことを考えるとほとんど条件反射になっているのはわかります。

ただ声が大きいだけで、本当にありがとうと思えていないように見えてしまうのは言い過ぎでしょうか?

だって、だれもこっちを見ていないもの。


どっちもイマイチと思うのです。



話は変わります。

人とのコミュニケーションにおいて、人が一番怒るのはどう言うときかと言いますと・・・


1.無視されたとき

2.人扱いされないとき


人は、意外と反論されたり、食ってかかられたときよりも、この二つが一番カチンとくるのです。

反論や口論は相手を人として認めている中で起こるのが普通。

どうでもよい人に、人は食ってかかったりしないものです。

もちろん反論されて腹も立つでしょう。

でも鼻であしらわれたり、そもそもそこにいないように空気の如く扱われることに比べればマシなのです。

(イジメの方法でも定番が「シカト」ですよね?)


客の目を最初から最後まで一度も見ないコンビニの店員。

「458円になります」

金銭の授受があって、

「ありがとうございました」

こちらが去り際にもう一度店員を見てみると、すでにそっぽを向いていて、なにか別の仕事をしていたりします。

終始、ついに一度もこちらを見ることはなかったこの店員。

別にコンビニになんにも期待していないので、別にかまわないと言えばかまわない。

例として挙げたまでですし、全部のコンビニ店員がそうだとは言いません。
(実際、近くのセブンイレブンのおばちゃんは俺が来ると7カフェのレギュラーサイズアイスコーヒーのカップを何も言わずに取りに行ってくれる(笑)なんかちょっと嬉しい)


上の例では言葉のやりとり自体いっさい問題がない。

マニュアルはしっかりこなしている。

でも、このやりとりを見て感じることは、

客の顔を見ていない。つまり、私であろうが誰であろうが関係なかったのに「ありがとうございました」の感謝の言葉に何かの意味はあったのだろうか?という問題です。


パチンコ屋に話を戻しますと、

もう何ヶ月も通っているパチンコ屋でも客は自分が認識されている感覚を持てないことが多いのは私だけでしょうか?


「『いつも』ありがとうございます」

「『今日は』無茶苦茶出ましたねぇ」

「最近あまり来られませんでしたね」

などの会話が機を見てあってもいいのでは。

これらの言葉が言っていることは、

「私は客であるあなただけではなく人であるあなたを認識していますよ」に他なりません。


ある地域密着型の非常に小さなホールでのこと。

負けている、つまり良いお客でいた間、ついぞ一度も話しかけられることのなかった私。

皮肉なことに、その私がついに話しかけられたのはちょっとずつ勝ちだした頃。

「お客さん、変則打ちは困ります」でした。


小さくて今にも潰れそうなホールがいつも言う言葉「地域密着型」

地域密着ってなんだろう?

地域の人(お客さん)と人(お店の人)のつながりを持つと言うことではないのでしょうか?

その他になにか「密着」するようなものって何か想像出来ますか?

くろべえはイヤらしい想像しかできません(笑)


モンスターカスタマー、という言葉があるらしい。

「お客様は神様です」と言って、調子に乗せるもんだから、異常なサービスを強要する客のことらしい。

私自身、客は「神様」だとは思いません。

売りたくない相手に売る義務は誰にもないのです。

客を選ぶ権利は店側にあるのは理解しています。

パチンコ屋さんなんてそれを盾に取って止め打ちを禁止にしたりしているほどです。
(これ自体議論を呼ぶところではありますが)

それを前提としたとしても、この話は「店 VS 客」の構図で話をするつもりはありません。

店側、サービス提供側の問題として話をしているのです。


「大きい声で挨拶」

「礼は腰から曲げて」

「必ず笑顔で」

などなど、うんぬんする前にひとつ大事なことをマニュアル化すべきだと思うのです。

それは「客を人として見る」ということです。

人を人として認める、敬う、・・・対人関係において最も基本的な事柄のひとつです。

サービス業の根本には「対人関係」があってしかるべきじゃないでしょうか?


お客様に本当に感謝しているなら、お客様を人として認識することからサービス業は始めるべきじゃないのでしょうか?


最後に。

とても心地の良い小さなホールがありました。

決して調整が良い訳でもなかったし、ちょっと強面の白服もいましたが、気さくな店員さんも多くて「安心して」「ホーム感覚」で遊べました。
(ぶっちゃけ、このホール、くろべえがもっとも多くお金を落としたホールだと思います)

普段は仕事が終わってから行くことの多かった私が、日曜日にちょっと気合いを入れて朝の行列に並んでいたりすると、例の強面の白服が「お、今日は朝から勝負ですか?」といつもの顔から想像出来ないような笑顔で話しかけてきて驚いたことがありました。

平日は仕事明けですからスーツです。

日曜はもちろんラフな私服。

ちゃんと見てるんだなぁと。


なんか、最近の大型店舗。

空虚な笑顔ばかりが増えて、こんなの意味があるんだろうか?

なんてちょっとシニカルすぎますか?


P.S.何が何でも過剰にフレンドリーに話しかけてくる店員がいるホールが良い、なんて短絡的な話ではありません。
機を見てほんとちょっとお客様を人として認識しているよ、という意思表示が上手に出来る瞬間があるホールというのは居て気持ちが良い。
それが出来るホールと出来ないホールの差はいったいなんだろう?と考えてみたら、そこに「人を人として認める」ということがあるような気がしたのです。


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