どきどき。
これが足りない。
・・・何の話かというと、私の話でもありますが、現代人全ての話でもあります。
最近ドキドキしましたか?
・ヤバい、死ぬかも!?と言う瞬間
・あ、マジでコイツと殴り合いになるかも?でも絶対引けない!と対峙する瞬間
・これ、このままキスに持ち込めるよな?と女の顔を見下ろす瞬間
・この商談まとまったら、マジで俺ヒーローかも?と思えるようなビッグプロジェクトをクライアントに説明している瞬間
うん、一生に何度かはそう言う体験が誰にでもあるんだとは思います。
でも、どれもこれも、このドキドキの瞬間にたどり着くまでが大変そう。
面倒くさいのでGREEの携帯ゲームで疑似体験やっとくか。
でも、根本的に人間は
「なんか面白いことないかな~」
と漫然と生活する中で、疑似体験では補完出来ないこういった瞬間を繋いで生きている。
こういう瞬間がないと、生きている気がしない。
・・・と考えるのは僕だけでしょうか?
それらのドキドキする瞬間&体験が完全に生活から消えたとき、生きる、ということが作業になってしまうような気が勝手にしています。
僕の友人がかつて言ったセリフ
「人生は長すぎる暇つぶし」
達観しすぎていて、絶句してしまったんですが、僕にはこの達観は出来そうにもない。
そんなことを考えているなか、「パチンコはどうだろう?」にたどり着いた。
パチンコが与えてくれる、大当たりとそれに続くかも知れない大連チャンの期待感。
それに向かって少し怯えながら万券をサクサクサンドに突っ込む。
後には引けないほどのリスクを冒してしまった後の方がこのドキドキは大きくなる。
そして待ちに待った激アツ演出。
「入ってくれ~!」
すでに5万円以上がサンドに吸い込まれている。
押しボタン演出。
気合いを入れて押すと、「ヴーン」の振動で鳥肌。
当たりが確定した後も単発なんかじゃ5万円は取り返せない。
「魔戒チャンス頼む!」倒れた鋼牙を復活させるべくボタン連打。
ズババババババババババババ・・・・
・・・いいじゃないですか。こういうの。
シレーっと澄まして、熱くなっている人を小馬鹿にしたような表情で一瞥するプロ風情よっか、よっぽど「ずばばばば」の激アツオッサンの方が生きてる感触が強いよ。
かつて、くろべえもそういう時期がありました。
ホールに足を踏み入れた瞬間、猛爆の期待感でドキドキする。
パチンコってやっぱりそれが楽しかった。
ドキドキがなくなった瞬間、パチンコは日銭稼ぎの単純労働に化けてしまいました。
日常から消えてしまったドキドキを、手軽に味わえるパチンコ。
それ自体は悪くないとは思うのです。
(注記:ただパチンコが及ぼす害悪の部分、多重債務、依存症、自殺、などなど。これらは今回取り上げた「ドキドキ」とは別の次元の問題として考える必要はあると考えています。
また、くろべえ自身はなんどかいろんなところで触れてきましたが、パチンコが今現在完全にギャンブルとしてのエンターテイメント性でのみ成り立っていることに一抹の疑問は感じています。)
残念ながら、くろべえ自身は結局パチプロ道に走ってしまいました。
でも、パチプロになるばかりがパチンコの最終ポイントではないと思うのです。
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