またまた不登校ネタでもうしわけないのですが、

人生模索中の子供達が
よく自分に障害があるのではないかというんです。

よくあがるのが
アスペルガー症候群。


知能的には一般と変わりなく、
高学歴な人も多いらしいのですが、
思ったことをそのまま口にしてしまい、回りの空気が読めないとか、
自分の話に夢中になってしまうなどの特徴があって、
職場や学校で周りの人と上手くやって行けないことがあると
新聞記事や本などで読みます。

ウチの息子も、友人達の子どもも、
自分はアスペルガーではないかと自分で言うんです。
周りと上手くやっていけなくて、
ずっと今まで浮いていたような感じだったそうで。


ワタシも、子どもの頃から全く落ち着きのない子どもでした。
授業中に手悪さをせずに話が聞けないし、
集会で立っているのも苦痛。
小学校教師を目指していたので
大学で多動児のことを習った時は、
まさに自分のことかな・・・と思いました。
でも、2年間学校に勤めていた時は、教える立場に甘んじて、
自分ができなかったことや居心地の悪かったことを忘れていました。

「ワタシも障害があるかも・・・・」と他のお母さんに言うと、
「私も自分にすごいこだわりがあるから、障害かもと思うことあるよ」とか
「夫の異常なこだわりは、たぶん何かがあると思う」と口々に言い出しました。

実際にアスペルガー症候群で生活しづらさを実感している方から見ると、
他の人が簡単に、自分は障害があるかも・・・・
と口にするのはたぶん不愉快だろうと思うのですが、
決して冗談や笑い話として話しているのではないのです。ごめんなさい。

ワタシが思うのは、
たぶん普通とか健常の人と、障害の人の間にははっきりした違いはなくて、
少しずつ人と違ったところを皆、持っているのだろうということです。
あまりに違いすぎると、社会で生活しにくいのだけれど、
違っているけれどあまり表に出ないで目立たなくて、
これまで普通の人としてやってこれた人も多いんだろうということ。

だから、その人が困っていなければ変わっていてもいいわけだし、
周りと摩擦が起きて苦しいならば、
障害があるという診断を受けて自分が納得したり、
周りに理解を求めて暮らしやすくしたり、
そういう行動が必要なのかな・・・と思うんです。

迷っている息子達も、
周りとの摩擦や生き辛さの原因が障害だったら、納得できると思っているのかもしれません。
でも、診断されるということは、名づけられるということでもあって、
名づけられることで楽になる人もいるかもしれないけれど、
それに縛られて、反対に苦しい気持ちになることもあるかもしれません。

今日、NHKのクローズアップ現代がアスペルガーを紹介します。
番組を見てまた考えてみます。








ワタシが一番気楽にしゃべれるのが、
不登校の子どものお母さん仲間。
子どもは不登校というよりもニートという年代になっていますが・・・
 
自分も子どもが不登校になるまでは、
学校に子どもが行かないのは異常なことで、

子どもがわがままになったのは、親の育て方が悪いんじゃない?とか、
もっと叱って学校に行かせたらいいのに、甘いんじゃない?

などと思っていたのですが、
学校に行かなくてはいけないと一番思っているのは子どもで、
それでも行けない状態で苦しんでいて(見た目はシレっとしていても)
そんな状態の子どもを無理に学校に行かせると、
もう自殺をするか、暴力をふるうしかないくらい追い詰めてしまう・・・
ということが
自分の子どもの不登校でわかってきたんです。

普通に学校に行っている子どものお母さんに、
この気持ちをわかってもらうというのはたぶん無理・・・・

それで、同じ気持ちを共有できる不登校児のお母さんというのは、
話していて本当に心が休まるんです。


普通に大学まで行っても、就職で大変な時代です。
それでも同い年の人が何とか自分の進む方向を目指して歩いている中、
自分の子どもはどの道を進んでよいのかわからず、
まるでもう歩けなくなったかのように休憩している。
皆が歩く背中を見るのも嫌で、地べたにうつむいて、
砂遊びで時間をつぶしている。

そんな子どももいつか道を見つけてくれるよね。
いつまでも砂遊びでじっとしていないだろうね。
追い立てないで、気長に待っていようね。と励ましあえるんです。

今日は、そんなお母さん仲間と一ヶ月ぶりにランチを楽しんできました。
10時に集まってコーヒーを飲んだ後、ランチに移動し、
3時半までしゃべり続けました。

子どもや夫のアホな話をして笑い飛ばして、
また明日から元気に頑張ります。






30歳で10年以上家に引きこもっている男性が、
インターネット解約に腹を立てて、両親や兄弟らを刺し、
お母さんと小さい姪御さんが
亡くなるという事件が報道されました。

昨日と一昨日の夕食時、そのニュースをテレビで見ながら、
家族の視線が19歳の息子に一点集中。
それはまさしく息子がインターネットにはまっている引きこもりだから。

息子は高校1年の終わりに、
どうしても学校に行けないといって、
退学しました。

3歳上の娘が中学2年生の時に教室でお腹が痛くなって
次第に登校できなくなり、何年かかけて不登校をする子の
苦しみをわかってきていたものの、
やっぱり息子には普通に学校に行ってほしいというのが本音でした。
だから「何であんたまで・・・」と正直ショックで泣きました。

でも、娘が「本人も行く方がいいとわかっていて行けないんだよ」
というので、娘ほど追いつめることなく、息子の気持ちを受け止めました。

ところが、せっかく不登校になったのだから、
何か学校と離れた生き方をしたら良いと思うのに、
息子は大学に行かないと負組になるという気持ちから逃れられず、
だからといって勉強がはかどるというわけではなく、
学歴がほしいとあせりながらインターネットで暇をつぶして、
もう3年以上、ぐるぐると混乱した毎日を送っているのです。

娘は2年間家で引きこもり、
16歳の時に私の不登校親の会仲間に誘われて、
全くの初対面でタイ旅行に参加しました。

外国に行って気が楽になったのか、その後ホームステイをしたいといい始め、
ニュージーランドに3ヶ月行くはずでしたが、1週間で音を上げてリタイア。
その後、リベンジに御嶽山の民宿で泊り込みのアルバイトをして、
帰ってきたら寿司店や漫画喫茶でバイト。
バイト先の社長さんに進められて夜間の調理士学校に通い、
それが終了した20歳になって、定時制の高校に行くことにしたのです。

娘はもう学歴とは関係ないところで生きていくと思っていたので、
定時制に20歳になって入学したのには驚きました。
5歳下の同級生とも、何とか上手くやっていて、
その上、今は大学を目指して、先生に補習をしてもらっています。
来年一発で受かったとしても、23歳で入学ということになりますが、
それでも娘が自分の道を歩いているというのは私にとっても誇り。
こういう娘が姉なので、息子も何とか自分の道を探してくれるのでは・・・
と思うのですが・・・・

同じ家で育って、同じく不登校になっても、
その後の経過って人によって違うんですよね・・・
不登校のほかの家の話を聞いていると、

女の子は自分の道をたくましく見つけていくことが多く、
男の子は迷ったり、立ち止まったり、
ウロウロしがちな気がします。皆がそうではないけど・・・・

男は仕事をしっかりして、家族を養わなくてはいけない。という
昔ながらの考えが、男の子には植えつけられていて、
いったんレールを外れてしまうとモデルがなくなって、
その先の生き方が見つけにくいのかな~と思ったり、

女は子どもを産む力を持っているので、
少々のことではへこたれない底力があるのかな~と思ったり・・・

今回の事件での、引きこもりの人は不登校ではなかったかもしれませんが、
やはり他人事とは思えません。
息子も友人とのつながりはすべてなくなってしまい、
インターネットは命綱のようなところがあります。

ただ、夫と買い物に行くのは好んでいて、
私や娘にもしょうもない話はするので、
たぶん家族で話さなくなったり、外に出なくなったら、
心の均衡が取れなくなるだろうという気がしています。

私たち家族にできるのは、
学校に行っていなくても、働いていなくても、
家族の一員として普通に接することでしょうか・・・
「私も自分の仕事頑張るね。君も自分の人生と自分の時間だから、
 大事に使って何か見つかるといいよね」という気持ちで。
つい、働けば~!とかいろいろと言ってしまうんですけどね・・・
でも、働けとか、勉強しろとか息子を追い詰めて、
プラスになることは何もないだろうと今は思っているんです。

ただ、息子を腫れ物に触るように王様にしてしまって、
家族が何でも言うことを聞く必要もない。
できることはするけど、できないことは我慢してよ。お互い様でしょ。
でいいかと思うんです。

「介護もいいよ。報われないこともないよ。老いを学ばせてもらえるのは
意味があることだよ」・・・・と私なりにメッセージは送りつつ・・・

とりとめない話になりましたが、
この気持ち、またつづります。