「ここ?」
「はい。姐さんこういうお店あまり来なさそうなので用意しました」
「しましたって……」
小林由依が辺りに目を向ける。そこにはおしゃれに着飾った少女達がおり、金髪で着崩した制服にロングスカートを履いた自分は酷く浮いてる。
事実沢山の視線が集まり、居心地が悪い。
「ひかる別の所にしない?ここはちょっとハードルが高いっていうか……」
「何言ってるんですか。もう食べ放題て予約とってるんで行きますよ。今日は姐さんの卒業祝いなんですから」
そう言って森田ひかるが微笑む。艶々、サラサラとした黒髪をウルフヘアに整え、クリッとした大きな目は同性の自分でも羨ましいと思う大きさ、それでいて鼻や唇は小さくまとまり、骨格もほっそりとしていて、10人が10人美少女と言うであろう端麗な顔立ちに仕上がってる。
「ん?どうかしました?」
「……何でもない。予約してるなら行くしかないか……」
「はいっ」
ハアとため息をつきながら2人はお洒落な外観のカフェの中へと入っていった。
落ち着いた雰囲気、お洒落なテーブルや机、心が穏やかになる音楽が流れる店内の端に2人は向かい合って座る。
テーブルには既にイチゴのショートケーキをはじめ、モンブラン、ミルクレープ、チョコレートケーキ、マカロンなど様々なデザートが並べられ、2人はそれぞれ食べたい物を口にしながら楽しい一時を過ごす。
「これ美味しいですね。いやこっちも、あ、これも美味しいです」
ひかるが由依をさしおいてスイーツに舌鼓を打つ。幸せそうな表情を浮かべるひかるにつられて微笑み、アイスティーを口にする由依。
「すみません。今日は姐さんが主役なのに一人で舞い上がって……」
口端についたクリームをナフキンで拭うひかる。
由依が首を横に張り、ショートケーキに添えられたイチゴを手に取る。
「嬉しいよ。こういうことされるの初めてだからさ。ありがとねひかる」
「姐さん……」
イチゴを口に運び、口の中で甘味と酸味が広がるのを楽しみながらゆっくりと飲み込むと、ひかるが何故かムッとした顔になっていた。
「どうしたの?ひかる」
「そのイチゴ私のです。最後に食べようと思ってたのに……」
ひかるの言葉を聞き、由依が思わず吹き出す。ひかるの顔が怪訝に歪む。
「ごめんごめん。可愛くてつい。でも早い者勝ちでしょ?こういうのはさ」
「え〜」
「え〜じゃない。もう一個頼めば良いじゃん」
「そういう問題じゃないんですよ。まあ楽しみますけど」
早速店員を呼んでイチゴのショートケーキを注文するひかる。それを微笑ましく見守りつつ、この生活ももうすぐ終わるのかと考えてしまう。
高校に進学するため、由依は近々この街を離れる。1年程しかいなかったが、それでも十分過ぎる濃い日々を過ごせたと思う。
それもこれもひかるのおかげだ。彼女と出会わなければここでの生活は楽しくなかったと思う。
彼女の明るさや素直さが自分の冷え切った心を溶かしてくれた。
もう一度、人と触れ合いたいと思わせてくれた。
「ありがとうね、ひかる」
「……何か言いました?」
「何でもない。それ食べないならもらうけど?」
「ダメです。コレは最後に食べるんです」
ショートケーキの乗ったお皿を持ち上げ、由依に取られまいとテーブルの端に置く。可愛らしい行動に由依が微笑み、モンブランにフォークを伸ばした。
「いや〜美味しかったですね」
「そうだね。ショートケーキどうだった?」
「美味しかったです。やっぱり好きな食べ物は最後に食べるのが良いです」
「そう?私は最初に食べたいかなぁ。誰かに取られたくないし」
茜色に染まった空の下、閑静な住宅街を歩く2人。時々自転車に乗った子供達が横を通り抜け、夕方を知らせるアナウンスが流れ、2人は暫し無言で歩を進める。
「……姐さん“マジ女”に行くんですよね?」
「行くよ」
「……」
「行ってほしくない?」
「そりゃ……だって暫く会えませんし、淋しいです」
ひかるの言葉が落ちると、由依が足を止める。
ひかるが少し歩いて足を止めて振り返る。
「ひかる。何があってもアンタは私の“妹”。離れていてもそれは変わらない。会いたかったから会いにくればいいよ」
真っ直ぐひかるを見詰め、言う。
茜色にさらされた金髪が暗くなり、微かに吹いた風が2人の間を抜けていく。ひかるが乱れた前髪を整え、言う。
「そうですね。じゃあ毎日会いに行きます」
「え〜。それはヤダ」
「なんでえーって言うんですかぁ」
「毎日はちょっと重いかな」
そう言って2人は笑い合い、再び足を動かしはじめたーー。
「待っとったよ、森田」
「アンタら……」
由依と別れて、自宅に向かっていたひかるの前に紺色のブレザーを着崩した女達が現れる。彼女達とひかるは同じ中学。もっと言うと由依と同学年。
ひかるの整えられた眉尻が吊り上がり、由依と一緒にいた穏やかな空気が消え、剣呑とした顔で女達を睨みつける。
「私に何の用だ?」
「そげなん決まっちるやろ。小林由依だよ」
「姐さん?姐さんに何するつもりだ」
「そげなこつにしゃの知る必要はなか」
「利用されてもらうけん、お前のこと」
言下、ひかるが拳を構える。喧嘩猛者として知られる由依の舎弟であるひかるはそれなりの場数を踏んでいる。こういう状況にも慣れっこだ。
「姐さんに手は出させない」
「悪かばってん、にしゃに構っちる時間はねぇ」
女がそう言った瞬間、ひかるの背後に隠れていた女が現れ、短い鉄パイプを振り抜く。痛撃が走り、ひかるが地面に倒れ込む。後頭部から流れ出た血が地面を赤々と染め、女達が笑いながらひかるに近づく。
「さっさと連れていくぞ」
数人でひかるを抱えると、女達は足早にその場を去った。
「ーーっ!!!」
ひかるが目を覚ますとそこは倉庫で、数十人の女達が談笑していた。辺りに目を走らせたところで自分が縄で縛られている事に気付く。
「おはようひかるちゃん。早速で悪かばってん、小林呼べ」
透明なスマホケース、背面には由依と一緒に買った鳥のシールが貼られている。ひかるのスマホ。
ひかるが女を睨む。
「そげな怖い顔で睨むちゃ。せっかくの可愛い顔が台無しだ、なあ?」
女が振り返ると、1人の女が歩いてくる。距離が埋まるや否や女が右腕を振り抜く。ひかるの顔が弾け、血が地面に飛び散る。
「あーあー。むぞらしか顔の傷モンになっちまっちゃ。ばってん悪かんはにしゃばい、ひかるちゃん。うちはただ小林ば呼んでほしかだけ。そいのできんしゃーんはひかるちゃんだけ。協力しとってくれちゃ、痛い思いはしたむなかやろ?」
ひかるを下から見上げて言う女。協力してくれと言っているが目の奥が仄暗く、どんな事をしてでも由依を呼ばせようと考えている事がありありと伝わってくる。
ひかるが口内に溜まった血を女の顔に吐きかけ、言う。
「不細工な顔が更に不細工になったな。姐さんは呼ばない。何があっても」
女がタオルで血を拭いながら立ち上がり、ひかるに背を向けて歩いていく。殺気立った数10人の女達が向かってくる。
「そんむぞらしか顔がグシャグシャになっちも後悔すんなちゃ」
「するかバーカ」
ひかるが舌先を出しておちょくると、女がタオルを投げる。ヒラヒラと舞うタオルが地面に落ちた瞬間、数十の衝撃がひかるを貫いた。
『アンタが転校生?』
『そうだけど……アンタは?』
『森田ひかる』
『私に何の用?』
『アンタ強いんでしょ?私と喧嘩しようよ』
『なんで?アンタと喧嘩する理由ないけど』
『喧嘩するのに理由が必要?』
『青いなぁ。まあ少しだけなら付き合ってあげるよ、アンタとのくだらない喧嘩に』
『そのへらず口きけなくしてやる』
『出来るといいね。でもまず先輩には敬語でしょ?1年』
頭から冷水をぶっかけられ、強制的に意識が覚醒すると女が下から覗き込んでいた。
「小林、呼んでくれるかいな?」
「……断る」
「残念」
女が去っていき、再び女達に殴られる。
殴られ続けてきたひかるの顔はパンパンに腫れ上がり、視界は赤みがかり、意識も朦朧としている。
腹部を蹴られ、呻き声と共に吐き出された血が白シャツを汚す。頭が下がれば髪の毛を掴まれて戻される。そして殴られる。
ひかるはどんなに殴られようとも、何度蹴られようとも由依を呼ぶ気はなかった。由依はこの世でただ1人の“姉”。井の中の蛙でしかなかった自分と姉妹の契りを交わしてくれた人。売るなんて発想、元からない。
「おい、こん辺にしとかねえとコイツ死ぬぞ」
「やいいっそんこつ殺せ。心配すんな、クズの1人死ぬだけだ。誰も気付かちゃが、悲しまねえ」
中学生とは思えぬ悍ましい言葉に流石の女達もたじろいだ。
「なん今更ビビっちんばい。にしゃらがやらねぇならうちがやる」
女から鉄パイプを奪い、思い切り振りかぶる。その勢いで殴れば間違えなくひかるは死ぬ。避ける術がないひかるは瞼を閉じる。
様々な記憶が脳裏を過ぎる。出逢い、喧嘩、姉妹の契り、共に笑い合った1年間の思い出。それが風切り音でかき消され、振られた鉄パイプがひかるの頬へ肉薄する。
刹那ーー。
「耳を澄ますと聞こえてくる。アンタの怒りが、アンタらの醜い声がーー」
カツカツとブーツの踵が地面を叩く音がする。
女達が振り返ると、待ち望んでいた人物が立っていた。流れるような黄金色の長髪、ひかると同じ白シャツにロングスカート、小林由依だ。
「小林ーーっ!!!待っとったぜ。遅かったじゃねえかっ!!!!」
女が狂気に歪んだ笑みを浮かべ、3人の女が由依に向かっていく。由依は何も語らず、足を動かす。彼女の視線の先にはぐったりと頭を垂らすひかるがいた。
柱に縄で括られ、足元には血溜まりができ、白シャツは汚れ、一方的に殴られ、蹴られていた事が容易に想像できる。
「……ひかる」
呟き、奥歯を力強く噛む。己の不甲斐なさが憎い。大切で、大事な妹をこんな目にあわせてしまった自分が。ボロボロになるまでひかるを痛めつけた女達がーー。
憎くて仕方がない。
「アレか?言うこつきかねえからちょー……」
風を切った。女はそれ以上話す事なく顎を裏拳で打ち抜かれてその場に崩れ落ちた。ざわつく女達。由依が左手で前髪をかきあげると、彼女の双眸に強烈な光が宿る。
「能書きはいらねえよ。さっさと来い。早くアンタら殴らないと頭がおかしくなりそうだ」
「ははっ。そーか怒っちるんか小林。大事な舎弟のぼてくりこかしにされて怒っちるんか。ならお望み通り……やれ、お前達っ!!!」
言下数十人の女達が由依に向かっていく。
由依は駆けてくる女達を殴り飛ばす。血管が浮き出るほど力強く握り込められた拳を女の顔面に叩きつけ、振り抜くと女が吹っ飛んでいく。
「オラっ!!!」
拳が由依の頬を殴り抜けるも、微動だにせず、返しの右拳で吹き飛ぶ。別の女が前蹴りで腹部を叩くも由依は歩みを止めず、女の顔を殴り飛ばす。地面に転がる女を見もせず、辺りに視線を投げる由依。
その眼光の鋭さ、体から漏れ出る士気に呑まれる女達。由依は1人ずつ地面に殴り倒す。血飛沫が舞い、悲鳴が響く。
1人、また1人と仲間が倒れていく。次は誰だという不安、自分ではなかった時の安心感。足はいつしか退き、地は女達の血で赤く染め上げられる。
「おいなんしよるんっ!!!相手は一人だぞ、さっさと始末せんね」
女の声など届かない。それ以上に由依への恐怖が上回り、彼女達は女を置いて逃げていく。敵を前にし、仲間を捨て、不様な背中を晒して走り去った。
「くそっ!!!アイツら……」
女が唾を吐き捨て、由依へ目線を投げる。ここで女が出来ることは由依に向かっていくか、醜く頭を下げるか、あるいはーー。
「小林っ!!!死ねっ!!!」
女は由依に向かっていく事を選んだ。ただ間合いが詰まり、女が何かしようとする前に由依の拳が女を貫き、血を吐き出しながら倒れ込み、由依は横を通り抜けて、ひかるのもとへ向かう。
「ひかる……ひかるっ!!!」
由依が声を張り上げると、ひかるの体がぴくっと反応し、由依は縄を解き、倒れてきたひかるを抱きとめ、そのまま優しく抱き締める。
「ひかる……ごめんね」
意識を失っているひかるは何も言わない。由依はひかるを背負うと足早にその場を離れた。
『姉妹の契り、ですか……」
『そう。うちらの世界にはそういうのがあってね。本物じゃないけど本物みたいな?嫌なら良いんだけど……』
『嫌じゃないです!嫌じゃないですけど……なんで私なのかって……』
『アンタを妹にしたいと思ったから。それじゃ弱いかな?』
『……全然……全然弱くないです。嬉しいです』
『そう……なら……』
『はい。なります。由依さんと姉妹にーー』
『……宜しく、ひかる』
『宜しくお願いします、由依姐さん』
「ーーんっ」
「起きた?大丈夫?」
「姐さんっ!!!イタタタ……」
「まだ寝ときなよ。結構重症なんだから」
目を覚ましたひかるは由依に背負われている事に驚きを隠せないが、体の方が痛いので大人しく由依の背中をかりる。
「助けにきてくれたんですね。ありがとうございます」
「全然。寧ろごめんね、私のせいで」
「そんな……姐さんは何も悪くないです。私がもっと強かったら姐さんに迷惑かけることも……妹失格ですね」
段々と声が小さくなっていき、悔しさで唇を噛むひかる。それを背中越しで感じた由依が小さく息を吐く。
「ひかる。アンタは私が妹に相応しいって思ったから声かけたの。だからウジウジすんな。私、弱気なアンタは嫌いだよ。強いとか弱いとか関係ない。関係ないよ、ひかる」
「姐さん……」
「第一妹を守るのが姉の役目なの。だから今回のこともアンタは何も悪くない」
真っ直ぐ、力強く、ひかるに届くように語る由依。ひかるはそれ以上己を卑下する事なく、由依にしがみつく。
「姐さん。私もっと強くなりますから。もっと強くなって今度は私が姐さんを守ります。助けます」
由依がひかるの方に顔を向け、笑う。
「生意気言うな」
「そこは待ってるとか、期待してるとかじゃないんですかぁ?」
「はいはい。期待してますともひかる様」
「もう」
ひかるが由依の背中に顔をくっつけて瞼を閉じる。風がどこからともなく波の音を拾ってくる。脇を大型トラックが何台も走り抜ける。宵闇の道を無言で歩く。ただ不思議と悪い気はしなかったーー。
それから暫く過ぎ、由依が街を離れる時がやってきた。
「姐さん……」
「ん?なにひかる」
「コレ……」
ひかるが由依に紙袋を渡す。受け取った由依が中身を確認すると、そこには桜色のシュシュが入っていた。
「コレってひかるの手作り?」
「はい。変ですか?嫌でした?」
「いや全然。じゃあ私からも」
そう言って由依がひかるに渡したのは桜色のブレスレットだった。曇っていたひかるの顔がパッと晴れる。
「ありがとうございます。これ手作りですか?」
「そう。結構上手く出来ると思わない?」
「はい。にしても意外です。姐さんにこういう女の子らしい一面があったなんて」
ひかるが言うと、由依がひかるの頭を叩く。ひかるがイタッと頭をおさえ、涙目で由依を見上げる。
「何するんですか?」
「私こうみえても女の子だから。それじゃ、そろそろ行くよ」
「姐さん!」
キャリーケースを持って、改札を潜ろうとする由依を引き止める。ひかるが貰ったブレスレットを右手につけ、瞳を燦然と輝かせ、言う。
「私もマジ女に行きます。だからマジ女で“テッペン”とってくださいね」
由依が振り向く。その顔はいつもの笑顔ではなく、真剣な表情だった。暫く見つめ合った所で由依が返答する。
「じゃあサヨナラは言わないよ。マジ女で待ってるから」
「はいっ!!!」
ひかるが右手を上げる。桜色のブレスレットが陽の光にさらされ、幻想的に輝く。それを見て由依が微笑み、改札を跨いで構内に入っていく。
「由依姐さん……」
ブレスレットに触れながら呟くひかる。
「ひかる……」
キャリーケースを引きながら呟く由依。
2人の再会まで、後2年ーー。
終わり。
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