今日は、僕が見た90年代のプロレスから、最も思い出に残っている大会を!
1995年4月2日
ベースボールマガジン社主催
東京ドーム大会
【夢の懸け橋~憧夢春爛漫】
週刊プロレスを発行しているベースボールマガジン社が主催した東京ドーム大会です。
この大会がまさに夢の大会でした。
まずは全13試合・対戦カードをご覧ください。
どうですか?すごいでしょ?
チケット1枚で当時の国内プロレス団体「ほぼ全て」の主力選手や試合が見られてしまう大会なのです。
「ほぼ全て」と書きましたが、参加していない団体は天龍源一郎率いるWAR。WARは、元々同日にお隣の後楽園ホールで大会が決まっていたことと、当時の週刊プロレス編集長・ターザン山本氏との関係性から参加を拒否。
大きな組織に対する反発ということもあり、WAR側の当日の客入りや今後の動向が不安視されましたが、蓋を開けてみると、新日本プロレスからもアンチ週刊プロレスだった長州力をはじめ、越中詩郎、金本浩二などが参戦。週刊プロレスとライバル関係だった週刊ゴングの全面バックアップがあるなどして、「裏ドーム」と呼ばれた後楽園ホール大会も同時に伝説となりました。
僕は迷わずドームの方を選んでしまいましたが、あそこで後楽園ホールを選んだおよそ2000人のプロレスファンの先輩方はかっこいいなぁと思いましたね。
と、少し脱線しましたが、本題に戻ります。
この大会は、総合司会としてアナウンサーの生島ヒロシさんが登場し、オープニングセレモニーから開始。ベースボールマガジン社より、参加した各団体の代表者へ花束贈呈が行われました。
その後、第1試合が始まるのですが、リング上でマイクを持ったのはJWPの代表兼リングアナウンサーのヤマモ!(山本雅俊氏)
そうなんです。選手だけではなく、リングアナウンサーやレフェリーも試合ごとにその団体の人に変わるのです。これも嬉しい仕掛けでした。
ちなみに、当日の対戦カード順は、まずは女子プロレスの歴史の浅い順(旗揚げの遅い順)に行われ、その後男子プロレスの歴史の浅い順からとなっています。
JWP
明るく楽しい試合が多く、可愛らしい選手がたくさん居た団体でした。
昔、我が家の近くにJWPの道場があったことから、団体のジャージを着た若手がスーパーで買い出ししているところに遭遇したりもしました。
LLPW
格闘思考であったり強さ重視といった印象の団体。看板選手はあの神取忍。この日も今で言う総合ルールのようなアルティメットルール(当時、UFCが立ち上げ当初、アルティメット大会と呼ばれており、いわゆる格闘系ルールをアルティメットルールと表記していました)で試合を行い、神取が柔道殺法で快勝。
LLPWの選手は男子プロレスの研究もしていたのか、よく新日本の両国大会などの客席で選手を見かけました。というか、イーグル沢井さんと同じ升席になったこともあります(笑)
全日本女子プロレス
言わずと知れた女子プロレス界の老舗。
有名選手、実力派選手、アイドル選手と数多くを輩出しました。また、全女はこの大会の前の年に単独で東京ドーム大会を開催。選手層の厚さや演出の手法から「全女の大会は長い」との声が多かったのですが、そのドーム大会も14時に開始したにもかかわらず終了時刻が0時(24時)過ぎという最長記録を叩き出しました。終電が気になる時間にさしかかるにつれ、選手の入退場時やパフォーマンス時に「早くしろ!」、休憩時間のアナウンスに「進めろ!」の大ブーイングが起こったとか。結果、ドームの周りには始発待ちの雑魚寝集団が大量発生したそうです。こちらも伝説の大会ですね。
剛軍団
ここから男子の部。
剛竜馬の登場にドームは「ショア」の大合唱。リングの魂を見ていた世代の方ならわかるムーブです。対戦相手の宇宙魔人はDDTで宇宙魔人をやっていた木村浩一郎さんだったのかな?
IWAジャパン
テリー・ファンクにカクタス・ジャック(ミック・フォーリー)ですよ!
この試合は、会場側から火気厳禁のお達しと、もし火気使用が認められたらその段階で大会自体の中止がアナウンスされていたのに、ヘッドハンターが有刺鉄線ボードにオイルをかけ、ライターで火を!この後の試合を見たい会場のファンから大ブーイングを喰らっていました。幸い、火炎攻撃は未遂に終わりました。
パンクラス
ここで空気感が一変しました。
船木誠勝ではなく鈴木みのるが出てきたことに、ファンは大熱狂!
しかも、「秒殺」を謳っていたパンクラスらしく、2分ほどで鈴木みのるが関節を取り勝利しました。
藤原組
石川雄規(のちのバトラーツ代表)と、カール・グレコがバチバチとしたファイトを展開する一方、藤原組長とドン荒川による昭和の頑固おやじの悪ふざけ的な展開もあり、楽しい試合に。
みちのくプロレス
ジュニア戦士によるルチャ殺法人気の火付け役ともいえるメンバー達が、スピード感と華やかさのある試合を見せてくれました。
リングス
前田日明の入場時、キャプチュードが流れた時の前田コールがすごかった。
この人、すごい人だしカリスマ性もあるんだけど、人の悪口が多いんですよね。
それさえなければもっともっとプロレス界で尊敬される人物になっていたと思います。
UWFインターナショナル
確か、元々高田延彦はカードに入っていなかったんじゃないかな?
うろ覚えですが、急遽、高田も出るぞ!となり、喜んだ記憶がうっすら残っています。
FMW
ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチのセッティングに時間がかかる都合もあり、メインリングではなく、レフト方向に組まれた別リングで行われました。
僕は川崎球場などにFMWのデスマッチを見に行っていたので経験済みだったのですが、見たことがなくてデスマッチをバカにしていた周りの客は、電流爆破の威力にビビりまくっていました。電流爆破は生で見ると本当にすごいですよ!
なぜか、大仁田厚vsミスターポーゴではなく、お互い化身で試合をしていたのはなんでだったのでしょうか?謎です(笑)
でも、この試合順からわかる通り、新日本と全日本しかない頃にFMWを立ち上げ、デスマッチ路線で世界的に人気を博した大仁田ってすごいですね!
全日本プロレス
まさか、こういったお祭りで全日本が見られるなんて!!
ひとりひとり自身の入場曲に乗っての登場でした!
もちろん、レフェリーは和田京平さん。ドームで全日マットでお馴染みの「キョーヘー」コールが起こりました。
参戦選手は、四天王&ハンセンにジョニー・エース(現WWEの超お偉いさん)ですよ!!馬場さん、粋ですね!!
というのも、確か、全日本の夢の懸け橋参加が決定したあと、全日本プロレスが当日どんな試合が見たい?とファン公募をしたんですよね。
それで選ばれたカードですから、そりゃ贅沢ですよね。
ちなみに、僕もはがきで応募しました。どんなカードを送ったかは覚えていませんが…。
その後、公募参加へのお礼状と年賀状が、馬場さんが亡くなり、体制が変わるまでの間、毎年届きました。
こういう気遣いが、馬場全日本に熱心なファンが多かった理由なのでしょうね。
と、ここで、押入れを調べてみたら、当時全日本から届いた暑中見舞いと年賀状の一部が出てきました!嬉しかったなぁ。
新日本プロレス
ケロちゃんがリングに上がり、ボルテージは最高潮!
いよいよ新日本プロレスの戦いが始まると思いきや、
「ここでお知らせがあります。今から読み上げるナンバーの車は、駐車違反でレッカー移動されました。持ち主の方は、新日本プロレスの試合を見ることなくすぐに警察署に行かないと、受付時間が終了し本日中に車の引き取りができません。」
といったアナウンス。
ナンバーが読み上げられるごとに、場内から大拍手を受けていました。
あの時の猛者、今でもプロレスを見ていますか??
ひとつ誤解を解いておくと、当時は今と違って駐車場設備が少なく、路駐自体が今ほど重い犯罪ではなかった頃のお話です。どちらかというと、路駐を切られたら運が悪かったと言われた時代です。
という出来事ののち、メインを締めたのは蝶野正洋と橋本真也。
試合は橋本真也が必殺技・垂直落下式DDTで蝶野を下し、大会を締めました。
というように、およそ25年前の大会でありながら、サクサクと記憶が蘇る。それだけ心に残っている大会と言えるでしょう。
勿論この大会は様々な会社や団体が絡んでいるため、映像化はされていません。
会場に居た人の記憶にのみ残る大会です。
が、実は、記録用として撮影していたものなのか、当日の会場内のビジョン用だったのか、定点カメラで撮影された映像が「裏ビデオ」として一時期出回り、僕もちらっとだけ見たことがあります。
画像は粗いし、バックネット側からの定点カメラ映像なので選手の表情などまでは見えませんでしたが、当時の記憶が少し蘇りました。
YOUTUBEなどで調べてみたら、もしかしたら見られるかも!?
ということで、思い出の大会でした!!
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