今日は布袋です、最近の歌の歌詞、特に演歌の歌詞は完全性を持ってないものが多い、そして売り(販売に対して趣向を凝らす)を考えた作品が少ないように見受ける、何を描いたら売れるのか分かっていないのだ、それで作品がぼやけてしまう、考えれば歌詞の完全性とはかなり難しい事なのかも知れない… その点昭和の初期の作品は歌詞の意味に透徹性があった、そう云う歌は安心して聞けるし、聞いてて気持ちいいものである… 相対的に今令和において演歌作詞家は腕がいい人は少ない、歌詞に必要のない無駄な言葉が多いと感じるのは僕だけだろうか、それでは売れない… また2番煎じや人の歌詞のフレーズの言葉を使うのは論外、例えば吉田拓郎の古い水夫など言葉を使うと興ざめなのだ、それくらい作詞の神経は繊細であって欲しい、そう云った方は作詞家のプライドや技が無いと僕は判断する、それで良かれでは決してない、作詞家は人の真似をしてはいけない、それをした時オリジナリティの形は崩れ猜疑と云う目で見られ自滅するのだ、1回でもそんな事をするとアウトだと覚えておこう、作詞の世界は甘くはない… 坂本冬美のデビュー作暴れ太鼓、もう何十年も前の話だが、内容は村田の無法松の書き換えである、それが真似とかパクリだとかが微妙なのだが、かなりヒットした、作詞作者は、たかたかし、個人的には好きではないが、強引な手腕のやり手と言えよう、2番手、祝い船にしても、芦屋雁之助の、娘よに似てるし、実際紙一重のカテゴリー盗作はヤバい綱渡りだと思う… でも作品は格好いいけどなあ、布袋は苦虫を噛む…