サムライ駐在員のブログ

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中国大陸での日々の出来事や遠征紀行、模型のことなどを書いていこうと思います

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昨年のことだが、会社の車で深圳市北部郊外のメーカーを訪問したことがあった 
メーカーからもらっていた手書きの地図がたいへんにデタラメなものであったので我々は盛大に迷い、半農村のようなところをうろうろと走る羽目になった 
そのとき、窓から真四角な塔が見えた 
中国の寺院の塔のような優雅なものではなく、漆喰で真四角に固めところどころに四角い銃眼が開いた、トーチカのような塔だ 
おお、と思ってシートのリクライニングを戻し、窓の外を見やると、畑の中にひとかたまりの集落があって、屋根はすべて色がそろった大時代な屋根瓦葺き、さらに村の周囲は白い壁で囲まれている 
よく見ると、どうも人の住む気配がなく、多くの屋根が抜けていて、廃墟然としている 
その中に、件の四角四面な塔が1本突き出している 
ああ、これは客家(ハッカ)の城砦村だ 
住宅地に飲み込まれずにほぼ昔のままで残っているのは珍しいな 
早速iPadの百度地図を開きGPSで位置を記憶させる 
早速今度の日曜に妻のみきと歩いてみよう 


以下、やや長くなるが、城壁というものについて述べてみよう

日本は島国である 
おかげで、13世紀のモンゴル帝国および20世紀のアメリカ以外、ほとんど異民族からの物理的な侵略と蹂躙を経験せずに済んできたのだが、これがよかったことなのかといえばよかったことなのに違いない 
そりゃあ戦乱というものは数知れず経験してきたが、これもすべて日本民族同士の争いで、言葉もまったく通じないということがなければ、戦いのルールもまたお互い承知、ひと死にが出るという悲惨さは別として、ある意味お互い了解のきめごとに基づいたゲームのような側面があったことは否定できない 

雪が積もれば休戦するし、田植え等農繁期にはお互い徴兵できないので戦を控える 
もめごと解決に際してはできるだけ実力行使を控えるために談合や調略を行い、人質交換による安全保障、寝返り裏切りによる一族滅亡の回避など、今の日本人のメンタリティにも一部見られるような、独特なルールが存在した 
歴史の教科書では織田信長による比叡山焼き討ちや長島一向一揆討伐、また島原の乱(皆殺しと伝えられるが実は多数の投降者が生き残ったらしい)のように、皆殺しのヒサンなイメージを伝えることが多いが、あれはあくまで政治的なスタンスからそうする必要があった例外的なケースで、実際には根絶やしにするようなことをやったらその後の労働力がいなくなり、征服した側にとっても戦後処理がえらいことになる 
攻める側にとっても攻められる側にとってもなるべく損害を出さないために、戦いそのものを回避するのが日本的なROE(Rule of Engagement:交戦規定)であったといえる 
まあ、お互い話せば分かる余地が十分にあったということだろう 

ところが、まったくの異民族が攻めてくるとなると話は別だ 
文化の違いほど残虐さをためらうことに遠慮がなくなるものはない 
10世紀のデーン人(ヴァイキングと呼ばれる連中)などは、戦って死ぬことがヴァルハラ(天国)に行ける条件と考えていたことから自分が死ぬことにまったくためらわず、なので敵を皆殺しにするのにためらうわけもなく、殺せば殺すほど立派な人間だと周囲も賞賛するという恐ろしい連中であった 
ためにイングランドなどはこれらデーン人の侵入によりえらい目に遭うのであり、この北方の野蛮人が略奪と殺戮をやめるのは北欧諸国がキリスト教化してからのことだ 

ではキリスト教徒は天使のような連中かというと、とんでもない 
キリスト教徒にあらずば人にあらずとばかり、十字軍の遠征などはユダヤ人やアラブ人に対する限りない殺戮と略奪の連続であり、16世紀の旧教国による大航海時代の展開も、宣教師を前面に立て、改宗しなければ殺すというように遠慮なく迫り、ためにインカ文明は滅んでしまった 

ここで留意しておきたいことは、文化や価値観が異なる相手には、人間はいくらでもヒトデナシになれるということで、世界史的に見ると、陸続きの異民族同士のたたかいは実に「北斗の拳」的なものであることが当たり前のようだ 
※中国語が分からない日本人が中国に来たりすると、意思疎通ができないため相手を人間として見ないという傾向がたまに見られるのも、同様の理由ではないかと思う 

このことを如実に語るのが、城壁というものの存在である 
洋の東西を問わず、街が敵に攻められれば遠慮なく略奪を受け、人民は奴隷として売られるか皆殺しである 
従って、問答無用で攻めてくる敵に対しては問答無用で応戦し街を守らなければならないというのが領主および住民の共通した宿命だ 
そのために、古来より街全体を囲むように城壁が設けられ、街そのものが防御施設とされてきた
城壁を破られたら略奪者と殺戮者が一気になだれ込んでくるので、当然な話である 

ひるがえって、日本の場合はどうか 
戦とはあくまで領主と領主の問題で、大将が負けるか大将同士で折り合いがつけば戦はおしまい、領民は粛々と新しい領主に仕え、やっぱこらあかんアホダラ領主だなと思ったら一揆を結んで抵抗するというわけで、領主と領民の関係は必ずしもGemainschaft(運命共同体)的なものではなかった 
従って、領主もかならずしも領民を守る必要がないため、街そのものには防御施設としての役目を考える必要がなかった 
日本の城の構造は、根小屋と呼ばれる領主が平時に居住する防御性が低い屋敷が平地の便利な場所にあって、領民はその周りに居住し街を形成していた 
これらはStrong Holdではないため、外敵がやってきたらすぐに占領されてしまう類のものだ 
その背後には峻険な山があって地形を利用した要害つまり砦が設けられ、いざというときには兵糧を担いで上がっては一族郎党が立て籠もる 
石垣や白壁、天守閣を擁する近世城郭(普通の人が想像するいわゆる城)に至っても、城下町は防御施設たる城の外に置かれ(ヨーロッパ人には理解不能であろう)、あろうことか有事の際は城を守るための第一次防御線として、燃やされることを前提として考えられていたフシがある 
例外的に街全体を何かで囲った著名な例としては小田原城の惣構え(このために小田原城は天下の不落の名城とされた)および自治都市であった堺、それから律令時代の形式的なものではあるが平安京に御土居と呼ばれる土塁が周囲を囲っていたことくらいだ 

つまりは、日本の攻城戦において守るべきものはたたかいの雌雄を決する領主であり、翻って大陸では領主および領民に加え一切の財産が守るべき対象である点が根本的に異なる 
そういうわけで、日本の街には城壁がなく、それ以外の国では城壁があるのが当たり前だというのが、私の荒っぽい解釈だ 
国家の存在意義は「国民の生命と財産を守る」ことにあるが、日本人にいまひとつそれがピンとこないのは、たぶんそういう歴史的背景が異なるからではないかと思うのである 

前置きが長くなった 
中国大陸においては、それこそ山ひとつ隔てると言葉が違うというくらい多様な文化と地域性を持つことから、いわば小さな国々がモザイク状にびっしりちりばめられたようなもので、よそ者に対してはまずは警戒するのが習いであった 
ちなみにこの警戒の仕方というのが面白く、なんだかよくわからん連中が来たらとりあえず大歓迎しておいて、こいつはちゃんと話が分かる相手だなとか、どうとでも手玉に取れるなとかを判断するらしい 
中国のメーカーを訪問して大歓迎を受け、いい気になっているお人よし日本人などは、実は「こいつは大歓迎さえしておけばどうとでもなる」と思われている事実に気づくべきであろう 
また中国人は、よその地域を見下す習性があり、たとえば「香港人はセコい」とか「上海人はもっとセコい」などとよく聞くものだ 
このように、基本的に他人およびよそ者を信用しない社会であるので、安全保障は徹底している 
特に「客家」と呼ばれるマイノリティのひとびとなどは文化的にも周囲から孤立しており(ちょうどイスラエルのようなものだ)、自分以外全部敵のような境遇であったこともあって、村を完全に城壁で囲んで要塞化するケースが多い 
客家集落が多く点在している広東省においても「××囲」という集落は客家人の城砦村であった 
こんにちでは城壁は交通の妨げとなるので早々に取り払われ、市街地にかつての円形の村が埋まっているようなケースがほとんどだが、それでもたまに城壁がのこった集落を見かけることもある 
深圳の龍岡区などでは文化財としてよく保存されたものが数箇所あるが、冒頭で見つけたものは、文化財として保存されたものよりもよりオリジナルに近いのではないかということが期待できるのである 


つづく