もう

 

何年前だったろうか?

 

NHKで山頭火ブームを解明?する番組が放送されました。

 

そのナビゲーターが、竹中直人で、自ら網代笠。僧衣をまとい

 

種田山頭火に扮して熱演?していましたね。

 

でもこの山頭火の扮装、ぴったりですよね?

 

本人 かと思うほど似てました。

 

で、、、、NHKの言うところによると、、、

 

どんな人にブームかというと、

 

鬱の人とか

 

 

心に傷を持った人で

 

一般市井の人が出てきて

 

山頭火体験を語るのです。

 

山頭火に慰められましたとか

山頭火に救われましたとか、、、

暗い心がほぐれましたとか、、、

 

山頭火の、、なんというか、、暗いイメージの強調?

 

そういう一般人の山頭火の、癒し効果??体験談。

 

そして番組中

 

「濁れる水の流れながら澄む」   山頭火

 

「捨てきれぬ荷物の重さまえうしろ」  山頭火

 

 

 

この2句だけが

 

番組中

 

繰り返し  くり返し   くりかえし、、、くりかえし、、しつこいくらいに、

 

出てきます。

 

ほかの句は全く一切、出てきません。

 

でもなんかこの番組

 

山頭火の実像を

 

 

ごく一面的にしか

 

伝えていなかったような

 

歯がゆさ

 

苛立たしさが

 

悪い後味が残りましたね。

 

極端なことを言えば

 

そもそもが

 

「山頭火ってうつ病の人のための慰めの俳句ではないでしょう?」

 

という私の反論?でしょうか?

 

このNHKの番組は

 

山頭火を曲解させるおそれがあるとすら 思いましたよ。

 

だって?山頭火ってそうじゃないでしょ?

 

本当は

もっとあわてんぼうの山頭火だったり。

 

 

無垢で面白い山頭火だったり、そういう俳句もいっぱいあるんですよ。

でもこの番組では一切

 

そういう句は無視ですね。

 

このNHKの

 

ごく一面的な山頭火紹介には、むしろわたしは怒りさえ覚えました。

 

そんな暗ーい山頭火ばかリじゃなくって

 

 

もっと天衣無縫な山頭火を

 

明るくおちゃめな山頭火も

 

屈託のない気のいい山頭火も

 

ぜひぜひ

 

知ってほしい。

 

こんなNHKの一面的な、、まるで、、うつ病の人の慰めのだけの山頭火ではない。

 

 

そう声を大にして

 

 

私は言いたい。

 

 

だって、、、、こんな句だってあるんですよ

 

 

 

「一杯、りたい夕焼け空」

 

 

 

 

「酔うてこおろぎと寝ていたよ」

 

 

「今日のお昼は草に座ってトマト二つ」

 

 

「おばあさんの自慢する水がわいている」

 

 

 

 

こういう山頭火もあるんですよ。

 

 

これも山頭火ですよと

 

NHKに言いたい。

 

そしてわざと?暗い句ばかりを強調しないで頂きたい。

だって

そんな一面だけが山頭火の実像じやあないんだから。

 

ところで

もっと以前にフランキー堺主演で山頭火のことがNHKでドラマ化されたようです。

タイトルは

「ドラマスペシャル 山頭火 何でこんなに淋しい風ふく」

それは見てませんので何とも言えません。

 

調べた限りでは、、ずいぶんシリアスな?内容のようです。

 

ヤッパリというか案の定?このドラマも、、

 

暗ーい   根暗な    陰々滅滅な    山頭火ドラマなのでしょうか??

 

どうしてそういう風に「山頭火は暗い」と勝手に決めつけるんでしょうか

 

もういい加減そういう変な先入観、、やめてもらえませんか?

 

明るい

 

おちゃめな

 

ほほえましい

 

屈託のない

 

そういう山頭火だってあるんですよ。

 

一面的なとらえ方は金輪際やめてください。

 

 

 

ところで、、、、はなしは変わりますが、、、、

 

 

山頭火ブームになる前は

山頭火といえば

 

生まれ故郷の防府市では

 

失敗者、落伍者、破産者として

 

むしろ影に追いやられれていた存在だった。

 

まあ、、、確かにそれもわかる。

 

酒浸りで仕事もせず、

 

自殺未遂を何度も繰り返し

 

果ては妻子をほっぽり出して

 

出家して、、挙句、、放浪三昧だ。

 

 

こんな人物を地元の偉人の列に加えるわけにはいくまい。

 

 

まあ、、さてそれはさておき

 

時代は流れて今や、、

 

山頭火ブームは一向に収まらない。

 

一過性のブームではないようなのだ。

 

今や世界で山頭火ブームさえ起ってるのだそうだ?

確かに彼の俳句は自分の命のにじみ出たものだから

世界性、、グローバル性はあるのだ

 

いわゆる日本の「宗匠俳句」の御大のような伝統オンリーの

ガチガチの?狭隘さは、ないからね

 

 

山頭火の詩心は世界のハートに通じるものだってことさ。

 

そういう

 

彼の生き方も、

 

その放浪遍歴の思いも、

 

詩人の魂がなさしめたことだったのだろう、

 

昔から詩人(俳人)なんて

 

みんな破滅型の人ばかりじゃあないですか?

 

真っ当な一生送った詩人なんていませんよね?

 

山頭火もまたまぎれもない

 

破滅型人物で

 

そして詩人の魂を持ったひとだったのですね。

 

そしてその昔、ブーム以前には

 

ふるさとでは

 

 

ホイトウ(乞食坊主)と呼ばれて故郷の恥さらし?といわれて?

 

のけ者にされた山頭火の記念館が

 

なんと!

 

今や、、、防府市にできてるというのですよ。

 

 

時代は変わったもんですよね?

 

山頭火がふるさとに受け入れられて

 

いまや、、ホイトウがふるさとの偉人になったのですよ。

 

 

酒浸りで

 

仕事もせず

 

妻子を捨てて

 

放浪三昧の

 

挙句

 

野垂れ死にした山頭火が

 

記念館ができてるのですよ、

 

草葉の陰で山頭火どう思っていることでしょうね?

 

苦笑い、、でもしてるんでしょうね  きっと。

 

 

 

山頭火よ、

 

あなたの詩心は

 

今や、大ブームとなり

 

更に世界にもそれが広がって

 

 

今でも生きてますぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

〇 我が愛する山頭火俳句↓

 

 

 

 

 

 

ほととぎす、あすはあの山、越えて行こう。

 

 

うしろ姿のしぐれていくか。

 

 

分け入っても分け入っても青い山。

 

 

少し熱がある、風の中を急ぐ。

 

 

何を求めて風の中を行く。

 

 

なでてやれば、鳴いてくれる猫

 

 

生まれた家は跡形もない、ほうたる。

 

 

花いばら、ここの土になろうよ。

 

 

なんという草か、しらない、つつましう咲いて。

 

 

こんなにうまい水があふれている。

 

 

どうしようもない私が歩いている。

 

 

ここで泊まろう、つくつくぼうし。

 

 

まっすぐな道でさみしい。

 

 

うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする。

 

 

白犬と黒犬と、つれて仲の良いこと。

 

 

一杯やりたい、夕焼空。

 

 

酔うて、こおろぎと寝ていたよ。

 

 

ずんぶりぬれて青葉のわたし

 

 

 

うごいてみの虫だったよ

 

 

 

石に腰かけて今日のおべんとう

 

 

 

付記

 

ところで山頭火は几帳面にも放浪の旅日記をこまめに大学ノートに書き綴っています。

その膨大な日記はまさに山頭火ここにあり。という

面目躍如なる、山頭火の精髄・スピリットですから、、ぜひご一読くださいませ。

なお、、

原文は「青空文庫」(ネット図書館)で無料で読むことができます。