高齢者の本音ってどうなんだろうか?

 

 

老人ホーム関係者や

 

 

老人病専門医のコラムやブログから

 

 

その本音を拾ってみました

 

 

 

1、水道光熱費食費家賃で精いっぱいだよ

 

  生きてるだけでぎりぎりで趣味なんて無理だよ

 

 

 

2,88歳の男性、肝臓病がある、

 

  こんな年寄り、生きとっても仕方ないですよ、早くお迎えが来ないかなあ。

 

 

 

3,89才女性

 

  軽い心不全がある、

 

   医者に対して

 

  「まだ死ねませんかね?生きてても何もいいことありませんからね」

 

 

 

4,78才女性 パーキンソン病

 

  検査を進めても「いつ死んでもいいですから」といって受けようとしない、

 

 

 

5,老人デイケアでの老人の会話

 

 

 「うまいことポックリ逝く方法はないもんかいな」

 

 

「朝、目が覚めんとそのまま逝けたら、こんなええことはないな」

 

 

「こけて頭打って、そのままあの世に行けたらええのに」

 

 

「道でトラックでも突っ込んできて、バーンとはねてくれへんやろか」

 

 

 

 

老いは誰にもやってきます

 

あなたも私も

 

そうなるのです。

 

 

では

 

どうしたらいいのでしょうか?

 

老化は確実に心も体もむしばんでゆきます

 

 

老人病も増えますし

 

苦しいものです。

 

心も劣化して

 

うつ病も増えます

 

 

精神状態もボケや認知症も増えてきます

 

 

みんなそうなるのです

 

 

老化を避けることなど不可能です

 

 

 

そういう全般が「老化の現実」なのです

 

 

 

「人はだれでも、年を取れば足が弱るし、手がしびれて、

 

息切れがして、身体が動きにくくなり、

 

目もかすみ、耳も聞こえにくくなり

 

物忘れもひどく、めまいやふらつきもあり、

 

眠れなくなったり、尿が出にくくなるのに、夜はトイレが近くなったり、

 

お腹が張るのにガスは出ず、出なくていい痰や目ヤニやよだれが出て、

 

膝の痛みに腰の痛み、嚥下機能、消化機能、代謝機能も落ちたりして、

 

身体が弱るものです。

 

そうなるのが自然なのに、それを受け入れるのは簡単ではありません。」  引用

 

 

 

そういう現状で果たして治療の意味があるんでしょうか?

 

老化は自然現象ですから治せないのです

 

いくら薬飲んでも、だから、ほぼ無駄です。

 

 

ドウセ治らないのに、

 

 

例えば

 

もっとひどい末期がんの老人に

 

早く死にたいという老人に苦しい治療して何の意味があるんでしょうか?

 

 

末期がんの老人に苦しい治療をしても意味がありますか?

 

死を先延ばしして苦しめてるだけじゃないか

 

病苦を伸ばしてるだけじゃないか?

 

 

そういう末期の病気の老人にとって

 

生きがいなんてないでしょう。

 

マヒや

 

寝たきりで

 

認知症で

 

病気の苦しみの毎日で

 

それで生きがいって無理でしょう。

 

 

ただ生かされてるだけ

 

それも苦痛もある病気で

 

 

高齢者医療やがんの終末期医療の現場で、

 

過酷で悲惨な苦しい延命治療をうけても

 

それでいいのでしょうか?

 

 

むしろ適当なところで死なせてあげる方が

 

望ましいのではないでしょうか?

 

 

老化

 

 

老後の現実は悲惨で悲しいものです

 

 

それをある程度自覚できれば

 

まあそれなりに

 

生きることもできますが

 

 

そんなこととは知らずにおいてしまった人は

 

ショックがおおきいでしょうね

 

 

「痛みや不如意があっても、心の準備のある人は、ある程度、

 

 

うつ病にならずに受け止められるようです。心の準備のない人、

 

 

すなわちいつまでも元気でいられると思っていた人は、

 

「なんでこんなことに」とか「こんなことになるとは」と、

 

よけいな嘆きを抱えるので、反応性のうつ病になる危険が高まります。

 

 

世にあふれるきれい事情報や、無責任なお気楽情報は、ほんとうに罪深いと思います。」

 

 

、、、とある医師は語っていますね

 

 

 

 

 

老後は美しくもないし

 

楽しくもないし

 

まして生きがいなんて嘘っぱちだし

 

悲惨でかなしいものだと

 

 

心の準備ができてた人は

 

まあ何とか過ごせますが

 

 

まったく気楽に構えてた人は

 

 

余りのショックで

 

押しつぶされてしまうのです

 

 

あなたは老後の心の準備は

 

出来ていますか?

 

 

それとも?

 

 

まったく無防備ですか?

 

 

いつまでも元気で

 

明るく楽しく

 

素敵な老後なんて

 

 

ウソッぱちなんですよ

 

 

あなたの老後だって

 

病気や

 

苦しい延命治療や

 

苦しい末期がん治療や

 

ボケや

 

麻痺や

 

寝たきりの可能性が大きいんですよ

 

 

さあ

 

 

あなたはその時どうしますか?

 

 

心の準備ができてる人なら

 

 

そういう病苦も

 

マヒも

 

苦しい延命治療も

 

まあ仕方ないさと

 

淡々と受け止めて

 

 

冷静に

 

静かに

 

ありのままに

 

受け入れて

 

命ある限りは

 

 

その命を

 

生きてゆくのでしょうね。

 

 

まあ、できるだけ普通に自然体で、、

 

 

生を全うするだけなのでしょうね。

 

 

あなただけではありません

 

みんなそうなのです

 

 

それが人生なのです

 

 

だから

 

 

受け入れてその命を

 

 

自然体で

 

 

冷静に生きるしかないのです。

 

 

それが老後の現実だからです。

 

 

それが、、、人生だからです。

 

 

 

その事実を

 

 

 

 

 

老いの現実を受容できていれば、不安はないハズなのです。

 

 

 

 

 

誰しもが老いて、昨日までできていたことができなくなって、

 

 

 

 

 

最後には「生きている」ことさえできなくなって、天寿をまっとうする。

 

 

 

 

 

その自然を受け容れていれば、不安になんてならないのですよ。

 

 

 

 

 

ただしやり残したことはないか?

 

 

 

 

 

それだけは心残りですから

 

 

 

 

 

やりたかったことは、しておきましょうね。

 

 

 

 

 

人として生まれたら

 

 

老いること

 

 

病むこと

 

 

 

 

 

そして死は避けられません

 

 

 

 

 

受け入れて今の命を

 

 

 

 

 

生きるしかありません。

 

 

 

それが老後の現実だからです。

 

 

 

 

それが人生だからです

 

 

老後はどうなるか

 

それはわからないのです。

 

 

ある意味、なるようにしかなりません。

 

 

それがまあまあ安らかな老後なのか

 

 

それとも苦渋の病苦の老後なのか

 

 

だれにも予測できないのです。

 

 

でもいずれにしろ

 

なるようにしかなりません

 

 

それがどんな老後であっても

 

 

受け入れるしかないからです。

 

 

そしてその老後を生きてゆくしかないのです。

 

 

それが人生という道筋ですから

 

仕方がないのです。

 

 

受け入れて生きてゆく

 

 

そう

 

神が「もういいよ」、というまで

 

 

受け入れるしかないのです。

 

 

それが老後の事実だから仕方がないのです

 

 

神様が

 

 

「もういいよ」というまではその老後を生きるしかないのです。

 

 

それが老後人生というものだからです

 

 

 

 

 

老い果ての

 

 

命の道は

 

 

今日もまた

 

 

続く坂道

 

 

下るが如し

 

 

 

 

 

 

 

今日は今日

 

 

明日は

 

 

あしたの風が吹く

 

 

回れ回れよ

 

 

人生かざぐるま

 

 

 

 

 

ついに行く

 

 

その時までは

 

 

人生の

 

 

道は続くよ

 

 

今日もまた

 

 

 

 

 

 

もういいよ

 

まあだだよ

 

老いばての

 

人生かくれんぼは

 

まあだだよ

 

 

 
 

命あるかぎりは

 

今日も命をはぐくんで

 

 

生きるさ

 

今日もまた

 

その命

 

神様が

 

「もういいよ」って言う日までは。