


日当りの悪い庭の片隅に今年も、ひっそりとスズランが咲いていました。
何年か前にふざけて植えた藤が今年も昨年に増して垂れ下がっています。
その下の、モッコウバラもいつの間にか咲いていました。
みんな、自分のお役目をしっかり果たして、人さまの心を慰め、癒しを与えてくれています。
誰もが心の中に皆もっている、「不安」には、
前向きの不安と、
後ろ向きの不安があるそうな。
「不安」そのものが、そもそもネガティブなのに、前向きも後ろ向きもあるものか。
そりゃ、この今のシッチャカメッチャカな時代に、
皆、多れ少かれ、不安な気持ちに苦しめられている人はいるさね。
「前向きの不安」は、生きるエネルギーをくれ、自分を未来に導いてくれるそうだ。
前向きの不安があるから、明日も生きて行こうと思えるのだそうだ。
で、「後ろ向きの不安」は生きるエネルギーを奪い、人生の活力も奪うそうだ。
そうだね、人生誰にでも、孤独と不安は一生セットでついてくる。
私は、自分自身何が不安で、何に孤独を感じているのか分からないことに、
気落ちし、戸惑っている、
その気落ちが何故なのかわからないことに悶々、それまた悩ましい。
それが後ろ向きの不安なんでしょうかねえ。
でもねえ、やりたくないことはやらないでいい、
世間なんかとはもう何にも気遣う必要のない、
待ってましたの老後の年寄りの隠れ蓑の中での生活は
人生の最終章のご褒美のはずなのに
なんとも、釈然としない不安感があるのだ。
それでも、ありがたいことに毎日が、何事もなく過ぎて行く。
鬱は、朝が辛い。
朝飯は食べない。
だが、夜になると、心が落着きホッとした気分になる。
特にお風呂に入ると、幸福感に満たされ、
不思議な現象が起きる。
我が家は5時が夕食。
早飯の後片付けが終わり
今は、早目に(6時半)お風呂に入るようになった。
湯上がりは、身体も心もふにゃふにゃで、気分が良い。
日中は食欲がなかったのが、
湯上がり、しばらくすると
なんだか何か食べたくなるのだ。
布団に入り、悶々と眠れない時は増して暴挙が始まる。
もう、食べるしかない。
食べると(寝る前の飲食はよろしくないことは重々承知のうえ)
何か満たされた気分で眠りにつけるのだ。
ベットに入り、「人は理由もなく悪い事をする時もあるのだ」
と、勝手な自己流理論を理由に、布団を跳ね除けて
アイスに、菓子パン、ヨーグルト、冷蔵庫通いが始まる。
隣の部屋で寝ている旦那に悟られないように、物音を立てずソロリソロリ
しばし至福の時間。
満足すると、眠りの神様が降りてくる。
逆流食道炎を警戒して(無駄な抵抗だが)、ベットの頭の部分を上げて、眠りにつく。
次の日の朝、
なんて馬鹿な事やってるんだ!
後悔と、後ろ向きの不安にかられる毎日です。