安全ですよと身体と脳に認めさせるには、
100%を求める人生を終わらせることだと思う。
健康診断で「異常なし」と言われても、
不安症は安心しない。
検査は受けた。
医師の説明も聞いた。
数値も問題ない。
それなのに、胸の奥では
「本当に大丈夫なのか?」
という思いが消えない。
検査の直後は少し楽になる。
けれど数日後、また不安は戻ってくる。
理由は単純だ。
不安は、安心しようと貪り、100%を要求してくる。
見逃しはどこにもないか?
今は大丈夫でも、次はどうか?
この問いに、完全なYESは存在しないと思います。
だから不安は満足しない。
どれだけ確認しても、次の疑いが生まれます。
安心感は感情だ。
感情は、命令して消せない。
ここでものの見方を変える必要がある。
100%安全は存在しないのだから、
これ以上、100%を求めないと決める。
納得できなくていい。
不安が残ったままでいい。
確認作業を終わらせるという決断の話です。
100%を求める人生は、どこへも行けない。
もし、100%の安全が条件なら
人は一生、前に進めない。
交通事故はゼロじゃない
病気の可能性もゼロじゃない
予測不能は必ず残る
それでも人は、
毎日外に出て、働き、暮らしている。
つまり
私たちは、もともと
100%を待たずに生きている。
病気不安だけが、
その例外を作ってしまった。
安全を認めるとは、線を引くことです。
今日を境に、
確認作業は、ここで終わりにする。
検査は受けた、医師の説明も聞いた。
これ以上は
安全のためではなく、不安のため。
だから、やめる。
不安が出ても、やめる。
納得できなくても、やめる。
これは無視ではなく、
人生の主導権を取り戻すための選択だ。
身体は道具です。
道具に使われるのでなく、
自分のコントロールできる事に集中する事で、コントロール感を取り戻すのだ。
よくある反論。
「もし見逃しだったら?」
その問いは、誰にでも浮かびます。
でも、
その問いを許す限り、
人は一生、安全を認められない。
そして、一つの事実がある。
100%を求め続ける人生は、
不安を減らさないで不安を育てていると言う事です、
逆説です。
不安のまま安全を100%求めないと決断し、
目の前の事に集中した方がよっぽど健康的です。
○○をしたから良くなるはず。
今日は、症状ないかな?
どうしたら無くなるんだろう?
全部確認作業。
そう考えているうちは、脳は危険だと警報を鳴らし続ける。
不安があっても症状があっても、立ち止まらない事です。できる範囲で今ここの生活を送り続ける事です。
すると脳は、不安があっても症状があっても
「普通に生活出来てる。危険じゃないじゃん。」
と警報が解かれ、神経が落ち着いていきます。
まずはその事実に気づく事が大事だと思う。
そのコツが、
意味づけに気づく。
思考を減らす
一日一生と捉え、一日を生き切る
そして
次回、不安から心を離す技術