富野御大はともかく女性キャラを脱がしたがるクセがあり、それは制作現場が過酷であればあるほど顕在化します。しかし、この作品はいくら当時の規制が緩かったと言えど、やり過ぎだと思います。確かに、人格改造などという非人間的な行為の残虐性を描くためとはいえ、やり過ぎだと思います。

世界の支配者シビリアンたちと、コモンセンスの戦いを描いたという構図は文学的ですらあります。でも、ほぼ全ての女性キャラが胸を露わにする必要があったのでしょうか。私はマリアというキャラだけは脱がして欲しくはなかったのですが、何の意味もないシーンでヌードを晒します。

確かに支配者(神)と被支配者(人)の対立の構図は分かるのです。でも、それに少女エルチ・カーゴをマッパにして、心身共に痛めつけまくるシーンが何回にも渡って続くという変態性を、別の描写に置き換えることはできなかったのか、と思います。

エロス・ヌード=イヤらしいなどとは思いません。エルチ・カーゴというキャラの弱さがプライドからきているのも分かります。でも…。

富野由悠季御大が如何に怒れる変態であるかが分かる作品です。多分、サンライズという制作会社の、既成のアニメスタッフの当たり前の仕事が嫌になってきていたのでしょうね。