押井守とは何者なのか?

哲学と宗教性と百合こだわる実在的アニメ監督?を「うる星やつら2ビューティフル・ドリーマー」を元ネタに解体する暴挙をお許し下さい(笑)妹ヘ…………


タイトルのビューティフル・ドリーマーとは誰を指しているのか?作家川又千秋は「夢の中で夢見るものは夢見るものの夢を見る」と記している。

この言葉こそか「解題」そのものではないのだろうか。

「美しい夢を見るもの」作中ではラムと受け取りかねない演出をしている。「夢邪気」に無邪気な夢を永遠に構築させ続けるラム、多くのファンは彼女こそか美しい人と解釈したのではないだろうか?あたるや仲間たちとの永遠に続くドタバタ騒ぎの連続構造は果てしなく思える。しかし物語はこの虚構と現実の表裏一体を見事に、そして無惨に崩壊させて、不確かさを露呈する。ガシンタレ、と夢邪気が蔑むピンクの子豚のオシリに捺されている「C」(著作権)の印。コレが虚構のの全てを喰らうという表現は、同人の世界では多くの2次創作者の頷くところだろう。

しかし2次創作なくしてオリジナルは無い。全ての創作は2次創作によって育てられ、オリジナルへと昇華する。作家は2次創作の種を撒き、コレに返礼することで完成を見るものである。

コレを嫌うのは誰なのか?原作者高橋留美子だとも受け取れる。しかし、オリジナルアニメという2次創作を生む許可を、押井守に与えたのも高橋留美子なのだ。だとしたら、それに一番耐えられない虚弱世界を生み出してしまったのは、押井守本人のはず。

美しい夢を見るもの、それは押井守自身ではないのか。

「夢を見ていたい」のはオリジナル(原作)の高橋留美子であり、2次創作的な虚弱世界を生み出した押井守、そしてアニメという2次創作文化に夢見る押井守のファンたちなのだ。

そのなんと崩壊しやすく、安っぽい存在であることか。百年後には全て消えているのに………その一時の夢に酔うひとという存在の哀しみと虚しさ。

「ビューティフル・ドリーマー」