ジブリ作品で「火垂るの墓」を観て涙を流された人は多いと思う。けれど、あの作品は決して単純な悲劇の話ではない。野坂昭如の原作を読むと様々なシーンが見た目とは全く違う意味で描かれている事が分かる。

神戸の大空襲がある。兄妹の母親は全身に火傷を負い死んでゆく。体から蛆虫が落ちる。凄惨な描写である。しかし、実は子の母親は、兄にとっては母親ではない。妹にとっての実の母である。

そう知って観ていくと様々なシーンに納得がいき、この作品が可哀想な戦争の悲劇、ではなくなってしまう。何故、親戚があんなに冷たいのか?あの兄は他人だし(血縁者ではない)妹も、言っちゃあ悪いが不貞の娘の子供なんでしょう。こうやって観ていくと実にエグいお話になる。まさしく暗澹たる泥沼の人間関係が浮かび上がってくる。

主題に入ろう。この兄は妹をどう見ていたか?二人で入夜するシーンがある。この年齢の男子が女のコの裸を見、その体に触れる。ドラム缶の風呂の中では男子女子の体が密着している。兄は何歳か?十二分にオトコなのだ。

妹が衰弱してゆく。医者が「滋養のあるものを」という。兄が叫ぶ。「滋養のあるものが何処にあるんですか」しかし、あるのである。鶏肉や卵が。兄にとっては自分の食べるものが無くなる、という怒りなのだ。自分は死にたくない、と思ったのだろう。

妹が死ぬ。兄はその遺体に添い寝をする。まるで恋人同士のように………(^_^;)

ラストは原作とは違う。兄が死んでいる。宮崎駿は高畑勲監督に言ったそうである。「本当は自分だけ生き残って、有名作家になるんじゃないか」

火垂が光を発するのは、求愛の為である。