登呂遺跡

登呂遺跡 [★★]

 のび太のパパが家に到着すると、家は「登呂遺跡の住居」になっており、ママは左肩の出た古代の服を着て、パパを出迎えていた。

[S01380A01080037007]

登呂遺跡静岡市駿河区登呂にある弥生時代後期の農業村落址である。1943年に軍需工場建設工事の際に偶然発見され、同年および194750年と1965年に発掘調査が行われた。1953年には特別史跡に指定された。

 

登呂遺跡

  沖積地の自然堤防上に立地する集落址:住居址は平地住居で、12軒が完全な形で発掘された。周囲に羽目板で土留めをした土手を巡らしていた。倉庫は住居址群のなかに四本柱のもの二棟が存在し、高床式の切妻造りと推定され、一木造りの梯子や鼠返しなどが備え付けられていた。

  後背低湿地を利用した水田址:水田址は集落の南東に接する低湿地に存在し、750002にわたって広がっていた。木杭、矢板などを並べてつくった畔により区画され、堰を設けた水路が南北に走っていた。

  森林址

 

登呂遺跡の主な遺物は丸木弓、鹿角製釣針など狩猟・漁労具;木製の剣・鍬・鋤・田下駄・石包丁、丸木舟、臼などの農具;建築用材、織機、五弦琴、土器、腕輪形銅製品などの装飾品などである。

 

 登呂遺跡は、敗戦直後の日本では異例の大規模かつ組織的な調査がなされ、これを契機として考古学者の組織である日本考古学協会が設立されるなど、学史的意義が大きい。