ツタンカーメン
ツタンカーメン[★★★]
ジャイ子が同人雑誌に投稿するマンガのアイディアがまとまった。ジャイアンによれば、「古代エジプトの悲しい恋の物語だって、なんとかラーメンという王様の」というチンプンカンプンなものであった。
ドラえもんから、「ひょっとしてツタンカーメン?」と尋ねられると、ジャイアンは「そうそう、そのなんとかタンメン」とトンチンカンな答え。さらに、「それで、なんとかコショーが必要なんだって。その時代の服とか家とか調べるの」に対して、ドラえもんは「時代考証のことだ」と解読に成功している。
[S16679・A44139・059008]
ツタンカーメン(ツタンク・アーメン):古代エジプト第18王朝12代目の王(在位前1361~52)である。
前王の始めた新宗教を廃して、代々のアモン神を崇拝した。アモンの神官に動かされて、都をテーベに戻し、アモン信仰を国教として復興させた。宰相アイと将軍ホレムヘブに補佐されて政治を行い、シリアに遠征したが、わずか18歳で夭折したと言われている。
1922年に、イギリスの貴族カーナーボンの出資によって、テーベの王家の谷で調査したイギリスの考古学者カーターは、ツタンカーメン王墓を発見し、10年の歳月をかけて慎重に発掘、発見物をすべてカイロ博物館に収めた。
玄室では王のミイラが八重の装置の中に収めてあった。まず入れこになった四個の大形で黄金張りの木製厨子、ついで、石棺、その後に三重の人形棺という装置である。
人形棺のうち外側の2個は黄金張りの木製であるが、いちばん内側の棺は純金製であった。その中に包帯と金、銀、宝石の装身具と護符と花に守られて王のミイラがあり、その顔には純金製のマスクがつけられていた。王の身長は168cmであった。
津波
津波[★★]
海底火山の噴火により、テレビのニュースは「太平洋岸は、津波のおそれも…」と警告を促している。
[S20091・A04059・087407]
津波[★]
突如、海もないのに「ドドドドド…」「大津波」がドラえもんとのび太の方へ押し寄せてきた。
[L01233・C02039・108009]
津波[★★]
地震でびくついて、大騒ぎしているのび太に対して、ママは「地震がこようが津波がこようが、山のようにうごかないきもっ玉をもちなさい!!」と大演説をぶっている。
[S15195・A34146・038406]
津波:地震による海底陥没や隆起、海中への土砂くずれ、海底火山の噴火などが原因で生ずる周期の長い海水の波動である。
波の周期は数分から数十分であり、外海ではこのような波が時速700kmで進んでいても気づかないことが多い。津波が浅海に近づくと30m以上の高さに立ち上がることがある。
島弧の海溝内側の大地震は特に津波を発生しやすい。津波の波高と地震のマグニチュードの間にはほぼ一定の関係があり、マグニチュード6以下の地震ではそれほど大きな津波は起こらない。海岸付近では津波の波高には局地的な地形が大きく影響する。例えば、湾がV字形になっている場合、湾の奥での波高は湾の入り口の3~4倍、U字形の場合は2倍ほどになる。
南米チリ付近で発生した遠地津波は日本の太平洋岸に大きな被害を及ぼすことが多い。特に1868年、1877年、1960年の大津波は日本でも多くの死者や行方不明者を出している。
波が急に高くなって押し寄せ、陸地を襲う「津」は船着場、船の泊るところ、つまり港の意である。したがって、「津波」とは港の波、すなわち港に災害をもたらす波ということである。