ゼロ戦(零戦)

ゼロ戦[★★★]

 スネ吉兄さんは四機の「ゼロ戦」を使って、空から「バババ バリバリバリ」と戦艦大和を攻撃して「ドドッ」と轟沈させている。

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ゼロ戦:零式艦上戦闘機の通称である。設計を担当したのは三菱重工業の堀越二郎技師であり、超々ジュラルミンを世界で初めて使うなど、機体の軽量化を徹底して図り、当時の世界水準を抜く性能を発揮していた。

 

ゼロ戦の一号機が初飛行したのは193941日で、翌1940年夏に中国戦線に出動し、194112月の太平洋戦争開戦時には海軍の主力戦闘機になっていた。

 

1940年に中国戦線に初出動してから太平洋戦争前半までは、航続距離、運動性などで世界の他の戦闘機よりすぐれていた。

ほぼ同時期につくられたアメリカ海軍の艦上戦闘機グラマンF4Fと比べると、自重が約4割も軽く、速度はさほど勝っていなかったが、上昇力、旋回性で大きく差をつけ、さらに航続力は2倍近くに達していた。

 

ゼロ戦が戦闘機としてすぐれた空戦能力をもっていたのは、重量を軽減するために操縦者を守る防弾鋼板、燃料タンクの防弾処置を一切省略したからであった。したがってゼロ戦と同能力をもった戦闘機が登場すると、防御力の弱さが致命的となり、優位は急激に失われた。

 

三菱航空、中島飛行機の各社で、日本機として史上最高の1430機が生産された。最多生産された52型は、1130馬力の発動機「栄」一基を装着し、乗員1人、全長9.12m、全幅11m、全備重量2733kgであった。さらに、同機は最高時速564km、航続距離1920km、武装20mm砲2基、7.7mm機銃2基、3060kg爆弾2個を装備していた。

 

戦艦大和

戦艦大和[★★★]

 夏休み期間中に、ジャイアンは模型の「戦艦大和」を完成する計画を立てていた。

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戦艦大和[★★★]

 のび太のラジコンボートに、スネ夫の操縦する「戦艦大和」が「ガガン」と衝突して、ボートは撃沈してしまった。

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戦艦大和[★★]

 のび太は「戦艦大和」の模型をモデルにして、絵を描いていた。のび太は何べんかいても駄目だというので、ドラえもんは「ちょっとやってみて、あきらめちゃうなんて、それでも男か」としかりつけた。丸めて捨ててある絵を見て、ドラえもんが「なるほど無理だ」と言って、「ガハハ」と豪快に笑い飛ばした。

 

すると、のび太も鼻息荒く、「キッ」とドラえもんをにらみつけると、ドラえもんも「自分がいったくせに」と弁解している。

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戦艦大和:戦艦大和は同型艦の戦艦武蔵とともに、旧日本海軍が建造した世界最大の戦艦である。第二次世界大戦前に対米英の数的劣勢を質的優位で対抗するために、当時の日本海軍が造艦技術の粋を結集して建造された。

 

戦艦大和は1937年呉工廠で起工し、1941年開戦直後に完成した。常備排水量69100トン、全長244m、速力27ノット、主砲は当時の最大口径40cmを超える空前絶後の大口径46cm砲であった。

 

第二次世界大戦中は連合艦隊旗艦として使用されたが、航空主体の近代海戦においては、主砲威力を有効に発揮する機会がついに訪れなかった。

 

戦争末期の19454月、水上特攻部隊として沖縄に向け出撃し、戦艦大和は九州南西方面において多数の米艦載機の攻撃を受けて沈没し、多くの軍人とともに運命を共にすることになった。