ジンマシン(蕁麻疹)

ジンマシン[★★]

 のび太はひみつ道具である『お金ぎらいになるキンディー(薬)』をなめたので、お金を持っていると思うだけで「ジンマシン」が出ると騒いでいる。

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ジンマシン:ジンマシンは強い灼熱感や痒みを伴う扁平隆起であり、蒼白色もしくは赤色を呈する地図状の膨疹である。ジンマシンは時々刻々とその範囲と部位を移動する症状を呈する。

 

 ジンマシンはアレルギーの機序による急性ジンマシンと、原因不明のことが多い慢性ジンマシンに大別できる。急性ジンマシンは身体の広範囲におよび、発熱、倦怠感、嘔気、腹痛、下痢を伴い、時には呼吸困難を伴うこともある。慢性ジンマシンの発疹の大きさや範囲は小さい傾向にあり、軽症であるが長期間にわたって出没しがちである。

 

 一般的な原因として、タケノコや卵や魚肉や牛乳などの飲食物、ヨード、血清、ワクチン、カビ、さらに精神的不安などを挙げることができる。そのほかに、寒冷、温熱、物理的刺激、摩擦などがあるアトピー性素因を有する患者に生じやすい傾向がある。

 

ジンマシンは漢字では蕁麻疹と書かれる。「蕁麻」はイラクサの中国名である。イラクサはイラクサ科の多年草で、葉や茎など草全体にとげがあり、そのとげには蟻酸が含まれ、皮膚に触れると痛く水ぶくれの発疹ができる。ジンマシンの名称はイラクサに由来している。

 

人力車

人力車[★★]

 のび太がスッポンポンで隠れていた乗用車が突然、「ピュウ」と「人力車」に変わった。

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人力車:人をのせ、車夫が引いて走る一人乗りもしくは二人乗りの二輪車の総称である。1870年に東京で営業を開業して以来、またたく間に全国的に普及した。東京だけでも1872年に11040台、1876年には24470台と激増している。

 

車体の胴は腰かけとなる部分であり、それには軽くて水に強いサワラ材が使用された。左右の脇には肘掛けが、前方下部に乗客が足をのせる蹴込が付いていた。車輪は、当初荷車のように鉄輪製で、ひくとガラガラと音を立てていたが、しだいに棒ゴムタイヤとなり、1912年には空気入りのゴムタイヤに改良された。

 

棍棒は、車夫が手に握って引くため取り付けられたもので、かなりの重量に耐えられるよう、樫材が好まれた。幌は胴に取り付けられ、乗客の雨除けや日よけ用に不可欠なものとされた。車夫の装いは、ズン胴または腹当てを着け、股引をはき、まんじゅう笠をかぶり、草履または跣足袋を履いていた。

 

籠にかわって明治以降、幅広く各層の人々に親しまれ、乗り物の主流を占めていたが、大正後期になると乗用自動車の普及に伴ってその地位を譲ることになった。

 

神話

神話[★★★]

 チッポが「国のはじめの物語」は おとぎ話と主張するので、パパは「おとぎ話じゃない、神話だ」と諭している。

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神話:人間は古来、どの文化においても、太古に起こったとされる一連のできごとに関する物語によって、世界と人間の起源や、それぞれの文化の中で人間が遵守せねばならぬ制度や習俗などの由来に説明を与えてきた。この物語が神話である。

 

神話は神を始めとする超自然的存在や英雄による原初の創造的な出来事や行為によって展開され、社会の価値や規範とそれとの葛藤を主題とするものである。 

 

 世界中の神話は、内容がきわめて多様であるにもかかわらず、遠く離れた地域の神話の間に驚くほどの類似や一致が見いだされる。その理由として、人類の歴史を通じて、神話はいつの時代どの場所でも、何らかの形で接触した他の文化の神話から取り入れられた話に触発され、相互に影響を与え合ってできた物語であるためである。