(4)中央都市(メトロポリス)

 ポセイドンとクレイトオの住まいのあった中央島は3本の海水環状帯と2本の陸地環状帯によって囲まれており、いちばん外側の海水環状帯とそれに接する陸地環状帯の幅は3スタディオン、

 

二番めの海水環状帯とそれに接する陸地環状帯の幅は2スタディオン、中央島をじかに囲む海水環状帯の幅は1スタディオンで、外海から幅3プレトロン(約88.8m)、深さ100ブース*、長さ50スタディオンの水路が掘られ、いちばん外側の海水環状帯と外界との連絡を可能にしていた。

 

 それぞれの海水環状帯には王宮への出入りを可能にするために橋がかけられていたが、これは3本で1組となっている。何組の橋がかけられていたのか、テクストからはわからないが、フリートレンダーは、数組の橋がかけられていて、全体が円環状ではなく、星形をしていたのではないかと推測している。

 

 これらの橋の下には橋にそって陸地環状帯を貫通するトンネルが掘られ、その中を一隻の三段どう船が航行するようになっていた。そして、それぞれの橋の出口と入り口には門が設けられ、入口の両側には櫓が建てられていた。

 

また、橋と中央島と陸地環状帯のまわりには壁がめぐらされていた。この壁は町全体を囲む外側のものを別にすると四つあり、そのうちの二つは陸地環状帯を囲み、一つはアクロポリスを、四番めのものはいちばん内側にあって聖域を囲んでいた。外側から順次に、銅、錫、オレイカルコス、金でおおわれていた。

 

 いちばん内側にある黄金の壁(もしくは柵)で囲まれた境内の中には、縦1スタディオン、横3プレトロンのポセイドンの社があり、その前に壮大な祭壇があった。また、この神域には国家の神聖な掟(法)が刻まれたオレイカルコスの碑が安置されていた。なお、王宮は黄金の柵をめぐらした聖域とオレイカルコスの環状壁の間に建てられていたと思われる。

 

 この中央島には温泉と冷泉があり、そのまわりには樹木が植えられ、王(室)用、一般用、婦人用、役畜用等のさまざまな設備を施した浴場とか建物がたてられていた。これらの泉から流れ出た水はポセイドンの聖林におくられ、橋沿いに設けられた水道を通して外側の陸地環状帯におくられた。

 

この陸地環状帯を通る水道の近くには神社や体育修練場などが設けられていたが、大きな陸地環状帯の方はさらに三つの輪にわけられ真ん中の幅1スタディオンの輪は戦車競技場となっていた。

 

そして、その外側の二つの輪には親衛隊員の宿舎があり、大部分の隊員はそこに住んでいたが、比較的信用のある隊員の宿舎は内側の小さな陸地環状帯にあり、とくに信頼のあつい隊員はアクロポリスで宮殿の近くに住むことが許されていた。

 

*印(著者注):1ブースは1フィート、オリンピュア単位では1フィート32.05cmである。深さ100ブースは32.05mとなり、少し深すぎる印象をもつ。この時代、地方によって1フィートの長さが異なるといわれていたので、もう少し浅かったのではないかと推測できる。(プラトン全集による)