てんとう虫コミックス短編第17巻(その2)
大砲[★★]
『紙の工作「切り抜く本」』によって、スネ夫たちの作った巨大な怪獣が「ギャース」とほええて暴れ出した。ドラえもんが戦車や「大砲」を作って、撃退しようとしたが、全く歯が立たなかった。
[A17022:2202]
週刊のび太 [★★★]
[A17026・S06444・067805:01]
佳作[★★]
のび太は週刊少年ジャブンの新人まんが賞に応募したが、「佳作」にも入選しなかった。
[A17027:1002]
「週刊少年ジャブン」は「週刊少年ジャンプ」のパロディ版である。
週刊少年ジャブン[★★]
のび太は『週刊少年ジャブン』の発売を待ち兼ねて買ってきた。なぜなら、新人のまんが賞に応募していたからである。
[A17027:06]
入選[★★]
のび太は週刊少年ジャブンの新人まんが賞に応募したが、佳作にも「入選」しなかった。
[A17027:1002]
大宇宙の大怪魔[★★]
のび太が週刊少年ジャブンの新人まんが賞に、応募した作品のタイトルは『大宇宙の大怪魔』であり、三十二ページの大傑作と自慢するものであった。
[A17028:0902]
雑誌作りセット[★★]
【道具解説】 ひみつ道具である『雑誌作りセット』では最初に、どんな雑誌にするかを編集ロボットに相談する。次に、まんが製造箱に見本のまんがを入れると、「ウイン ウイン」とコンピューターが絵柄や作風を分析し、製造箱は見本そっくりの能力を身に付ける。最後に、原稿を製版印刷製本機が雑誌にまとめて製本する。
[A17028:02113]
アンケート[★★]
編集ロボットによれば、よく読まれる雑誌は、読者が何を読みたいかを「アンケート」なんかを使って徹底的に把握している。
[A17032:0703]
ちば てつや[★★★]
アンケートの集計の結果、好きなまんが家は手塚治虫、鳥山明、松本零士、「ちばてつや」などであった。
[A17032:0902]
ちばてつや:1939年、東京に生まれ、旧満州(中国東北部)に育つ。高校在学中の56年、貸本漫画でデビュー。その後、主に少女誌を中心に「ユキの太陽」、「みそっかす」などを発表、62年、『週刊少年マガジン』に雑誌連載では初めての少年漫画「ちかいの魔球」62年、『少女クラブ』に連載した「1・2・3と4・5・ロク」(62年、第3回講談社児童まんが賞)で高い評価を得る。
以後、「紫電改のタカ」、「ハリスの旋風」などヒット作を続け、68年から連載の「あしたのジョー」(高森朝雄・作)は若者たちに熱狂的に支持された。「おれは鉄兵」(76年、第7回講談社出版文化賞)、「のたり松太郎」(77年、第6回日本漫画家協会賞、78年、第23回小学館漫画賞)などを受賞作多数。2001年、文部科学大臣賞、02年、紫綬褒章を授賞(現代漫画博物館別冊・資料編による)
鳥山 明[★★★]
アンケートの集計の結果、好きなまんが家は手塚治虫、「鳥山明」、松本零士、ちばてつやなどであった。
[A17032:0902]
鳥山 明:1955年、愛知県に生まれる。23歳のころから、『週刊少年ジャンプ』に投稿を重ね、78年、「ワンダーアイランド」でデビュー。80年、「Dr.スランプ」を連載開始するや、翌年、テレビアニメ化され大ヒットとなり、82年、第27回小学館漫画賞を受賞。84年、「DRAGON BALL」を連載開始。
掲載誌の『週刊少年ジャンプ』を空前の600万部誌に押し上げる原動力となった。キャラクターデザインを手掛けたゲームソフト「ドラゴンクエストⅦ~エデンの戦士たち~」で2000年、第4回文化庁メディア芸術祭賞を受賞。「SANDLAND」、「カジカ」、「COWA」などがある(現代漫画博物館別冊・資料編による)