この絵600万円[★★]

[初出誌] 『無題』、「小学四年生」197212月号、12頁、86コマ

[単行本]  『この絵600万円』、「てんとう虫コミックス ドラえもん第6巻」197511日 初版第1刷発行、12頁、87コマ

[大全集] 『この絵600万円』、「藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん 22009830日 初版第1刷発行、12頁、87コマ

 

【初出誌vs.大全集】

 タイトル『無題』が『この絵600万円』に変更

 「ん!!」が「そうだ」に変更[61(1)]

 「今から二十三年前か」が「今から、二十五年前か」に変更[61(10)]

 「柿原先生、今度こそ絵を買いますよ!」コマ挿入[67(5)]

 

[梗概] 高級車からおりて野比くんと声をかけた人はドラえもんやのび太も新聞や雑誌の写真で見たことのある、洋画家の柿原先生であった。パパは何十年ぶりに会い、いまも絵を描いているかと、先生から懐かしそうに尋ねられた。

 

 家に帰って、画集を見せてもらうと、落書きみたいに見えたが、パパから六百万円もすると聞いて、二人は非常に驚いている。先生は昔この近くの安アパートに住んでいたので、パパは若いころ先生から絵を学んでいた。

 

  先生の絵はだれにも認められず、百円でも買い手がつかなかったので、パパは二、三枚買っておけばよかったと昔を懐かしんでいた。

 

 のび太とドラえもんはお年玉を千円、前借りして、タイムマシンに乗って、柿原先生の絵を買いに出かけた。昭和二十四年頃、この付近にはずいぶん空き地が残っていた。

 

  落目荘の先生の部屋をノックすると、家賃も新聞代も払えないという声が聞こえてきた。さらに、「そば屋? 米屋? 酒屋? とにかく今、一円もないんだ」ということであった。

 

 パイプをふかし、ベレー帽をかぶった若い先生に、集金じゃなくて絵を買いに来たと告げると、涙を流して、のび太の手をしっかり握りしめた。そして、絵を買いにきたのはきみたちがはじめてだと、大歓迎された。

 

  先生は「世の中は、芸術のわからんやつばかりで、…、絵をやめようかとさえ思っている」と告白された。今に、日本中の人が、先生の絵をほしがりますと話すと、先生は飛び上がって、「自信がついた」と叫ばれた。

 

 好きな絵を持っていっていいと言われたが、どれ見ても落書きのように見えた。ひとまず、全財産千九十八円を出すと、「これはおもちゃなのかね。からかったんだな、ぼくを」と腹を立ててしまった。なぜなら、今だした千円札は当時まだ発行されていなかったからである。

 

 一度かえって、スネ夫が昔のお金をコレクションしているので、昭和二十四年以前のお金を今の値段で譲ってもらった。お金も値上がりするので、三百円しか買えなかった。このお金をもって再度、柿原先生のアパートを訪ねると、先生は出かけていて、のび太の若いころのパパに会うことになった。

 

 キャンバスの前で絵を描いていたので、ドラえもんが「野比さんも絵をかくのですか」と質問すると、若き日のパパは「画家になるのがぼくのゆめなんだ」と答えている。

 

  それを聞いて、のび太は「いや、それはむりだ」、ドラえもんも「あなたはサラリーマンしかなれませんよ。わかってるんだ」と語るので、「なんだ、きみたちは? かえれっ!!」と怒鳴られてしまった。

 

 「絵をうってもらう約束だよ」と話すと、「好きなものもっていきな」と言われたので、二人が「この絵が、いちばんうまいと思うよ。すくなくとも、何かいたか見当がつくもんね」と判断して、「じゃあ、がんばってね」と、別れのあいさつをしてタイムマシンで帰ってきた。

 

 ママに、「六百万円」と言いながら絵を見せたが、半信半疑であった。パパに見せると、「みなさい。ぼくが、中学生のころかいた絵だ! どこへいったかと思っていたが、なつかしいなあ」と喜色満面であった。しかし、ドラえもんとのび太の失望感には、想像を絶するものがあった。

[S0236A0606047212]