減薬を始めてから1ヶ月少し。
ここ1週間は比較的症状が落ち着いている。
中途覚醒がなかなかしぶとくて辛いけれど、、、



最近はアメブロをどうしても辛い時の逃げ場にしていたから苦しい記事が多かったけど笑い泣き
いつかの自分のために、今思うことを記録しておきたい。



最近、考えることがある。



大学を卒業してから病気を発症するまでの間、
そして一度は寛解してまた再発するまでの間、
私は何者でもなかったなぁ、と考える。



猛勉強の末、関西では名の知れた大学に入った。
得意分野で賞を取り、やりがいのあるサークルで活動、成績トップで卒業し、晴れて一部上場企業に入社した。



大学時代は、やっぱりどこか型にはまった生き方ではあったものの、一生懸命楽しみ、悩み、選び、自分を生きていたと思う。
大学時代での出会いと経験は、本当に大きい。



問題は、そこからだった。



新卒での入社を機に上京。
3日も経たない内に強烈な息苦しさを感じ、研修の帰り道は駅のホームで涙が止まらなかった。
自信満々で鼻息を荒くしていた矢先、自分でも驚く程早くつまずいた。



すぐに生きている実感が薄くなった。



激務だった訳でもなければ、ひどい人に当たった訳でもない。特別な出来事は特にない。


だけど常に頭が混乱していて、呼吸が浅く、周りの人全員を信用しすぎて逆に誰が誰か分からなくなる。
その内自分がどこにいて何をしているかも分からなくなった。



実際に、髪にドライヤーをする間すら立っていられなくて丸椅子を洗面所に持ち込んだり、最寄駅の方向が分からなくなったりした。
メール1通送るのに、数時間かかったこともあった。



東京に馴染まないといけない。
弱音を吐いてはいけない。
仕事で成果を出さないといけない。
ランチは同期と楽しく食べないといけない。
金曜の晩は誰かと飲まないといけない。
家事は完璧にこなさないといけない。
日曜の午後は節約の為に作り置きしないといけない。
弱音を吐いてはいけない。
可愛いネイルを欠かしてはいけない。
流行の服を着ないといけない。
ランチの後はしっかりメイクを直さないといけない。
運動しないといけない。
部屋は常にお洒落にしないといけない。
上司には常に100%の報告をしないといけない。
オフィスの廊下は口角を上げて歩かないといけない。
弱音を吐いてはいけない。
いけない、いけない、いけない。



今思うとそこに自分の心地よさは全くなく、いつか見たような見なかったような映画の誰か、雑誌で読んだようなキラキラとした誰かに似た人間を必死に保っていたように思う。



そんなことをしている内に、信じられないほど体調を崩した。
一度目の発症だった。
活字が読めず、思考がまとまらず、言葉が出ず、眠れず、笑えない。
休職する敗北感と、症状への戸惑い、恐怖で本当に本当に死んでしまうと本気で思った。
毎日小さいダンボールに詰め込まれている感覚だった。



その後復職したものの、やはり辛かったのとこの先は生まれ育った関西で働きたい思いから退職。
この時は病気に対する認識もまだ甘く、何よりも取り残されるような焦りから独断で通院を止め、周りの反対を無視して転職活動し、すぐに中途で2社目に入社した。



しばらくは生き返ったように調子が良く、むしろ良すぎるくらいだった。


けれどしばらくすると、



2社目ではうまくやらなくてはいけない。
もう失敗してはいけない。
仕事以外でも充実させなくてはいけない。
趣味を持たないといけない。
息抜きをしないといけない。
東京での辛い経験を活かさないといけない。
もう失敗してはいけない。
ジムへは週2回必ず行かないといけない。
訳も分からぬ内についた部下とうまくやらなくてはいけない。
バランスの良い食事をしないといけない。
もう実家に迷惑をかけず過ごさないといけない。
もう失敗してはいけない。



また、何者でもない自分が顔を出していた。
本当は薄々気付いていた。
一度目の時とよく似た症状が少しずつ出ていた。



だけど、認められなかった。



地元に帰ってきてもダメなのか。
こんなにライフワークバランスを整えてもダメなのか。
どこにいけば良いのか。
どう生きれば良いのか。



二度目の発症。
もうあまり涙は出なかった。
淡々と自殺未遂をした。










一度目より遥かに深い地獄の中にいた夏を超え、ようやく観念して治療に向き合えるようになった今、少し冷静に振り返る。



社会に出て働いた数年間。
何かに取り憑かれたように「正解」にこだわり、何者かになりたいのに何者の正体も分からず迷走し、自滅していっていたように思う。



今もまだ完璧(あくまでも自分の凝り固まった価値観の中での完璧)であろうとする自分はいるし、過去のことを思い出して苦しくなり、現在の生活に涙が出る日もある。



だけど、




静かな場所でボーーーっと過ごすのが好きな自分。
朝布団の中で伸びをするのが好きな自分。
お洒落もせず化粧もせず寝転がっているのが幸せな自分。
もくもくと細かい作業をしているのが好きな自分。
(今は自分の爪がキャンバス)






深呼吸するのが好きな自分。
綺麗な色が好きな自分。







皆で食べるご飯も好きだけど、1人で卵かけご飯をかきこむのも好きな自分。






バリバリと仕事をしていた(していたつもり)時よりも、今の方がよっぽど私である。
何者でもなく、マヌケなただの私。



順調にスルスルと生きているだけでは、自分らしさや心地よさや感謝といった大切なことを大切にできなかった私には、この病気と向き合う時間がどうしたって必要だったのだと、割と心の底から思っている。



無理せず、見栄も張らず、強がりもせず、ごく自然に心の底からそう思える。



あのままスルスルと生きていたとしたら、たぶん大切なものを見過ごし、大切な人を傷つけ、自分のものじゃない人生を流れるように消化していたと思う。



危なかったな、私。



だから、



今の治療が終わり、薬を飲まなくなったり、自然と眠れるようになったり、疲れにくい体を取り戻したとしても、病気になる前の自分に戻りたいとは思わない。



元どおりの自分になることは目指さない。



今のまま、それか今よりももっと、マヌケな私で生きていきたい。



今日、湯船に浸かってボケ〜っとしながらそんなことを考えた。



だからどうか、またどうしようもなく落ちた日にはこの記事に帰ってきてほしい。




マヌケでアホでボケ〜っとした自分でOKです。
それを笑って認めてくれる人たちがいます。
全然、全然、OKです。



すんごく長い備忘録になりましたが、
いつかのどうしようもなくなった私へ。
















何度でも言う、OKです!!!