久々にF1のネタを。
今回はティレル023。
1995年のF1シーズンを戦ったマシンになります。
前年大活躍した022の発展改良型になりますが、新たに採用したハイドロリックサス、これが全く決まらず大苦戦。
シーズン途中にノーマルサスに変更しても速さは戻らず結局サロが3回の入賞をマークしただけでした。
前年の022のホワイトカラーをベースにサロが持ち込んだノキアのブルーが加わりマイルドセブンの水色に合わせて青系の鮮やかなカラーリングになりました。
リアウィングにはスポンサー兼技術パートナーとなったフォンドメタルのロゴも入り、末期のティレルでは一番スポンサーが多かったマシンかも。
マシン自体はカッコ良かったのですが、性能が…。
ティレルの場合活躍したシーズンの翌年はダメパターンが多かったですね。
ケン・ティレルも認めていましたが、ティレルクラスのチームは常に挑戦しないと行けない為ギャンブル的な技術トライをしていかなければならなかったそうです。
019ではあのフロントウイングが当たりましたが、020はホンダエンジンでハズしてしまいブラウンを失ってしまいました。
この95年もタイトルスポンサーだったノキアは1年で撤退してしまいました。
シーズン序盤はティレルらしいネイビーメインのカラーリングでした。
これはこれで悪くないと思いますけど地味かな。
90年のイギリスF3でハッキネンとチャンピオンを争っていたサロですが、91年以降は日本でF3000、F3、ツーリングカーを走らせていました。
ただ所属していたチームの戦闘力の低さから目立った成績を残せず正直燻っていた印象が否めなかったと思いますが、94年のロータスからのスポット参戦をきっかけに第一線に戻ってきましたね。
ティレル加入当初はセカンドドライバーでしたが、徐々に右京を喰う速さを見せティレルのエースになりました。
シゲオは94年に十勝で行われたJTCCを見たのですが、その時サロはF3とのダブルエントリーだったと思います。
ハッキネンのライバルが4年経ってもF3か~なんて思った記憶がありますが、翌年にはF1に乗って、そこからフェラーリやトヨタをドライブするようになるとは想像出来なかったですね。
94年の活躍から95年はさらに飛躍のシーズンになると本人も周りも思っていましたが、マシンの戦闘力の低さからノーポイント。
翌96年もノーポイントに終わり、最終年のミナルディでもノーポイント。
結局右京が入賞したのは94年だけという結果でした。
終盤右京が負傷欠場した際に1戦だけスポットで参戦したのが、当時テストドライバーを務めていたタルキーニ。
F1は92年のシーズン途中に撤退したフォンドメタル以来。
慣れたマシンだったとは思いますが、職人タルキーニの腕をもってしても目立った成績は残せなかったようです。