前回リアルの事を書きましたが、89年は他にも好きなチームとマシンがあります。
今回はオニクスです。
オニクスはF3000の強豪として活動していたチームで89年のNA元年に合わせてF1にステップアップしてきました。
マルボロに加えてメインスポンサーにマネートロンという怪しげな企業も見つけて新規参戦チームとしてはかなり好体制での参戦でした。
ただ資金源をそのマネートロンに依存し過ぎていたのと、その社長が普通では無かったのがチームにとっても不運だったのかもしれません。
89年のマシンは後にフットワークのマシンを設計するアラン・ジェンキンスの設計。
他の新規参戦チームよりもマシンもしっかりしていた印象です。
89年のマシンらしいインダクションポッドはかなり小さめのデザイン。
マシンの外観も好きだけどピンクが使われているのが好きだったのかもしれないですね~
この角度だとアロウズのA11に似たデザインのような気がします。
ドライバーはF1経験豊富なヨハンソンにF3000上がりのガショーの2人。
ドライバーの面でも他の新規参戦チームよりは良かったと思いますね。
エースとしてオニクスを支えたヨハンソン。
85年から87年までフェラーリ、マクラーレンでF1を戦いましたが3シーズンで2位が最高位で優勝は一度も出来ず、フェラーリではベルガー、マクラーレンではセナの加入によってシートを失ってしまいました。
フェラーリではチーム状況が悪かったのもありますが、優勝という結果を残せなかったのが痛かったですね。
マクラーレンではプロストを支えベストNO2ドライバーと呼ばれましたが、一発の速さには欠けたのかそれ以上の評価を得る事は無かったですね。
F1デビュー前は速いけど安定感に欠ける評価のヨハンソンでしたが、F1で走るようになってからは安定感は有るものの速さに欠ける評価になってしまっていたのが何とも皮肉でしたね。
89年は予備予選スタートながらしっかり決勝に進出し結果を残し、フランスGPで5位入賞を果たしポルトガルGPでは見事3位表彰台を獲得。
結果を残しましたが、今度はチーム状況が悪化。
翌90年もチームに残留しましたが、開幕2戦を走っただけでチームを解雇されてしまいました。
その後SWCのマツダのシートを獲得しましたが翌91年はF1ではAGSのシートしか獲得できず、またしても開幕2戦で解雇されてしまいました。
マクラーレンで走ったドライバーが僅か4年後にはAGSにいたとは転落具合が凄い
それほどまでにF1で走りたかったんでしょうかね。
フェラーリ時代の同僚アルボレートもフットワーク時代の90,91年は中々の燻りぐあいでしたが、それ以上に酷かったですね。
おまけに91年はフットワークで一時的とはいえ再び同僚になってしまっているのも何ともいえないです
シゲオの好きなベルトラン・ガショーはオニクスでF1デビュー。
開幕から6戦連続予備予選落ちが続いていましたが、7戦目のフランスGPで初の予備予選突破からの決勝進出で初完走。
その後は決勝進出を続けますが、チーム批判を続けた事で解雇されてしまいました。
ガショー解雇後のシートはフィンランドのJJ・レートが獲得しました。
デビュー当時は同胞のケケ・ロズベルグの秘蔵っ子的な存在で期待されていたレートでしたが、大成できずF1を去りました。
94年のベネトン入りはチャンスでしたが、怪我もあり結果を残せず仕舞いでした。
シーズン終盤にはインダクションポッドが大型になっていましたが、翌90年には元の小型に戻っていました。
1年目から新規参戦チームとしては好成績を残したオニクスでしたが、ポルシェエンジンを獲得できなかった事もありやる気が無くなったバンロッセムはチームを去りマネートロンは詐欺で告発されてバンロッセムは逮捕されました。
代表のマイク・アールにデザイナーのアラン・ジェンキンスもチームを離脱し存続の危機に陥ります。
90年の開幕戦はマネートロンのロゴは無くなりスポンサーはマルボロのみ。
その後チームはスイスの自動車メーカー・モンテベルディが買い取り何とか存続。
スイスの暴れん坊グレガー・フォイテクがヨハンソンに代わりシートを得ました。
マネートロンが付いていた場所には新たにモンテベルディのロゴが。
ピンクだった部分は黄緑に変更されました。
一応BスペックになったORE1ですが、戦闘力をアップさせた他のチームには敵わなくなり予選落ちの連続。
チーム名がモンテベルディ・オニクスに変更されて僅か2戦でF1から撤退してしまいました。
正に泡沫チームと言っても過言では無い去り具合だったのかもしれません。