RAM | オッサンゴレイロ・シゲオのブログ

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宮城競技フットサル界の片隅にいる札幌出身オッサンゴレイロのブログ
基本的にコレクション系のネタ多めでユニフォームとスニーカー、キン肉マン、F1の昔話等々・・・
これからは新しい家族の黒猫クロミとわかばのネタが増えます。

シゲオはF1でもサッカーでもトップチームよりも下位のチームの方に興味を持ってしまいます。 

このブログでも時々F1マシンの記事を書いていますが、下位チームのマシンがとても好きです。 

 

F1だと数年で撤退してしまうチームの事を泡沫チームといいますが、そういうチームのマシンが何故か魅力的に思えてしまいます。 

 

今回は70年代末から80年代中頃に掛けて活動していたRAMというチームのマシンです。 

 

 

F1ではあまり見ない白×緑のカラーリングが印象的なマシンです。 

何かの記事でF1だと緑が敬遠される傾向らしいと書いてありました。 

なので91年のジョーダンが緑だったのは結構衝撃的だったらしいです。 

 

話が横道に逸れてしまいましたが、スポンサーがアメリカの噛みタバコ・スコールバンディットという事もありアメリカンな雰囲気を感じますね。

 

 

 

元々はジョン・マクドナルドが率いていたRAMというチームが払い下げウイリアムズFW07でF1に参戦したのがスタートですね。 

70年代は払い下げマシンで参戦する事が可能だったので、他にも何チームも参戦していましたが、軒並み予選落ちや下位を走っていましたかね。 

 

前年度の最強マシンのFW07でしたが、ドライバーを含めたチーム力に問題があったのか下位に低迷していました。

 

翌81年から2年間は老舗マーチの名前を借りて参戦。 

エイドリアン・レイナード作のマシンでしたが不発。

 

82年のマーチ821はロスマンズやニューズウィーク、ICI等大手のスポンサーが付いていました。 

マシン自体はカッコ良かったと思いますが下位に低迷。 

 

大ベテランのヨッヘン・マスはオランダGPでのヴィルヌーブの死亡事故にも絡んでしまったりしてシーズン途中にF1から撤退しました。

 

 

苦戦しかしていませんでしたが、翌83年からはようやくRAMとして参戦

 

マシン名は01。 

DFV搭載のマシンでした。 

 

1台体制で参戦し決勝進出は僅か2回。 

このシーズンも苦戦しました。 

 

 

 

翌84年はハートのターボエンジンを入手。 

01の改良版と新規設計の02を投入。

 

 

スコールバンディットの大口スポンサーが付き2台体制に変更。 

J・パーマーにP・アリオーの新人2人での参戦で前年よりも決勝進出は増えましたが、ポイント獲得はならず。 

 

 

当時最年少F1出走記録を持っていたM・サックウェルも2戦だけ出走しました。 

 

 

 

 

 

バークレーカラーに塗られたアロウズとのバトル。 

84年もポイントは獲得できず・・・・。

 

 

 

 

そして最終年になる85年

グスタフ・ブルナー作の03を投入。 

 

ドライバーはドイツの中堅M・ビンケルホックとアリオーの2人。 

コンパクトなマシンになりましたが、ハートエンジンの信頼性の低さに足を引っ張られ、結果を残せず仕舞い。 

おまけにエース・ビンケルホックはグループCのレース中に事故死、スコールバンディットもシーズン終盤で撤退してしまいチームも参戦できなくなり消滅と相成りました。 

 

この03はブルナー作のマシンだけあって結構いい形をしているしカラーリングもカッコいいと思いますね~。

シルバーのホイールもカッコいい。

 

 

5シーズンもF1に参戦して1ポイントも獲得できなかったある意味稀有な存在のチームだったのかもしれません。 

巡りあわせもあるとは思いますが、1ポイントも獲得できなかったのは何と言っていいのか。 

 

80年代参戦していたAGSやコローニでも1ポイントは獲得していますからね、不運なチームだったのかもしれません。 

1980年から92年まで参戦していたオゼッラ(フォンドメタル)は5ポイント獲得していますが、86年から92年まではノーポイントだったので、それに次ぐ記録かもしれません。