今回はリジェJs33
89年と90年の2シーズンに渡り使用されたマシンです。
もう30年前のマシンになったんですね~。
前年のマシンJs31の大失敗がありその反省を活かしオーソドックスな作りのマシンでしたね。
エンジンはフォードのDFRを使用。
リジェのマシンと言えばフレンチブルーのカラーリングにフランスのタバコ・ジタンのロゴがお馴染みです。
70年代後半から80年代前半までは優勝争いを繰り広げた強豪チームでしたが80年代に入り一気に下降。
F1ブームの時には中堅から下位に位置するチームになってしまっていました。
資金は豊富なんだけどイマイチなチームの印象が強いですね。
タバコスポンサー全盛期の80年代後半のマシンだけあってジタンのロゴがデカデカと付けられています。
当時はマルボロ(マクラーレン)、キャメル(ロータス)、ジタン(リジェ)、ウエスト(ザクスピード)がチームのメインスポンサーとしてブランドカラーでマシンを彩っていました。
特にマルボロとキャメルは世界的に勢力争いを繰り広げていた印象です。
タバコ広告規制の掛かるイギリスやフランス、ドイツではジタンのロゴはこのように変更されます。
89年のドライバーはフランスの大ベテランR・アルヌーと新人のO・グルイヤールの二人を起用。
フェラーリやルノーで通算7勝を挙げ80年代前半から中頃までは最速ランナーの一人だったアルヌー。
85年の開幕戦後にフェラーリから謎のクビを言い渡され86年からリジェをドライブしていましたが、年々衰えが顕著になり89年では入賞は僅かに1回とその影は見るものが無くなっていました。
フジテレビのF1中継では古舘伊知郎に妖怪通せんぼじじいと言われていたのが思い出されます。
元々が遅咲きのドライバーだったのもあり89年で41歳。
よく走った方だったのでは
ダースベイダーが浮かんでしまうカラーリングのメットが印象的だったグルイヤール。
6位入賞を1回マークし1ポイントを獲得しましたが、このシーズン限りでオゼッラへ移籍となってしまいました。
89年はアルヌー、グルイヤールが1回ずつ入賞し、3ポイントで終了。
翌90年はBスペックへと進化したJs33Bで参戦
スポンサーもほぼ変わらず外見上はフロントノーズがちょっと変わった感じかな
ドライバーはアルヌーの引退もあり一新。
フランスのアリオー、イタリア人のラリーニの渋いコンビになりました。
速いけどクラッシュが多かったアリオー。
ただクラッシュしてもピンピンしている所はフランス版チェザリスといっても存在でした。
ラルースから移籍してきた90年でしたがノーポントに終わりシートを喪失。
一旦F1から退場しSWCのプジョーに移籍します。
そこで活躍し落ち着きを覚えたのか93年に古巣ラルースで復活し、94年はマクラーレンとラルースで走ったりしました。
アリオーの相方がイタリア人のいぶし銀な外見のラリーニ。
F1デビュー時からイタリア系チームで走っていたのがいきなりのフランスチームへの移籍。
89年もそこまで活躍できなかったマシンの改良版では苦戦するのは当然。
シーズン途中にJs33cに改良され、エンジンチューナーも変更しますが、成績は向上せずノーポイントで終了します。
90年は入賞するチームと出来ないチームの差が激しかったシーズンだったように思います。
リジェ以外にスクーデリアイタリア、ミナルディがノーポイントで終了。
マクラーレン等のトップ4とティレルとラルース、レイトンハウスにほとんどのポイントが集中していました。
フレンチブルーが眩しいマシンでしたが成績面では全く輝く事が出来なかった悲しいマシンでしたかね。