今回は1994年のマシン・ティレル022です。
94年はサンマリノGPでのラッツェンバーガーとセナの事故死があり波乱のシーズンでした。
ティレルにとっては前年の93シーズンの雪辱を晴らしたシーズンといえたのではないでしょうか
93年のティレルはシーズンの半分を2年落ちの020で戦い、ようやく投入した新車の021は大ハズレでチーム創設以来初めてのノーポイントの屈辱のシーズンだったと思います。
87年から90年代前半のF1ブームの時にF1を見ていた人にとってティレルと言えば中堅チームの印象が強いかと思いますが、70年代のチーム創設時のティレルはチャンピオン争いを繰り広げる強豪チームの一つでした。
J・スチュワートが2度のチャンピオンを獲得、70年代後半には伝説の6輪車P34を走らせたり話題に事欠かないチームでした。
通算23勝していたのは誇れる数字だと思いますね。
80年代に入りマクラーレンやウイリアムズ、ブラバムといったチームに先を越されてしまい、ノンターボで頑張っていましたが中堅チームになってしまいました。
それでも83年にはM・アルボレートがノンターボの012で優勝をしたりしていました。
有望ドライバーを発掘するのが上手いチームでもありました。
古くはF・セベール、P・デュパイエにJ・シェクター、80年代に入りアルボレートにS・ベロフにM・ブランドル、89年にはアレジを起用していました。
94年は片山右京にマーク・ブランデルのコンビで13ポイントを獲得しコンストラクター7位の成績を残しました。
ハーベイ・ポスルズウェイト博士による非常にシンプルなマシンでしたね。
カラーリングも伝統のティレルブルーを全く使わないホワイト一色でした。
なのでマイルドセブンのロゴが非常に映えましたね。
90年の成功作019もポスルズウェイト博士の作品。
資金不足の為、失敗作021のリアセクションを流用していたらしいですが、一流デザイナーの作るマシンは一味違いますね。
019の時はv8のDFRがエンジンなのでパワー不足な面がありましたが、022でのヤマハエンジンはv10でパワフルでした。
ヤマハにとっても最高のシーズンだったのでは
エンジンはヤマハ、マイルドセブンにカルビー、クラブアングル等々日本のスポンサーが多くついていました。
これらは中嶋悟在籍時からずっと継続しているスポンサーでした。
2002年のワールドカップ招致のロゴもマシンに付けられていました。
これほど日本色の強いチームは同時期のロータスと双璧だったかも
片山右京と共にF1に進出した日本のタバコメーカーのJT。
前年までのキャビンからマイルドセブンに変更されたんですよね。
93年限りでキャメルが撤退したので94年はマルボロ、ロスマンズ、ジタンにマイルドセブンの4ブランドがマシンを飾っていました。
シーズン途中のレギュレーション変更に伴いインダクションポッド後部をカットしたりしていました。
見た目的には微妙ですね・・・・。
F1・3シーズン目の右京でしたが、ようやく実力を発揮できるマシンに恵まれ予選では大活躍。
予選トップ10に8回も入りました。
レースでも2位を走行したり上位を走る事が何度もあり初表彰台も夢ではない位置に付けていましたが、マシントラブルに泣き結果は残せず仕舞いでした。
相棒のブランデルが3位表彰台を獲得したり結果を残しただけに尚更悔やまれます。
前年のフットワークでの鈴木亜久里も予選は好位置につけますが、2人とも決勝で結果を残せなかったのが惜しいところです。
多分ドイツGPのスタート時の画像ですが、ヒルのウイリアムズやシューマッハのベネトンよりも前にいるのが凄い
決勝で結果を残せなかったのが悔やまれますね。
期待された翌95年は新たに導入した023のハイドロリンクサスがイマイチで結果を残す事が出来ませんでした。
サロは何とか5ポイントを獲得しましたが、右京に至ってはまさかのノーポイント・・・・。
ティレルの場合は91年にしてもこの95年も前年の活躍が継続できなかったのが中堅チームの悲しいところでした。
常に冒険をしなければ生き残れないのが中堅チームの定めではありましたが、そこが上手くいったチームって少なかったんですよね・・・・。
ティレルにとって最後に輝いたマシンだったと思いますね。