コローニ、87年から91年までF1に参戦していたイタリアのチームです。
常に下位に低迷していたチームでした。
87年は終盤2戦のみの参戦でしたが、88年から91年までフルシーズン参戦しながら決勝進出は13戦のみで獲得ポイントはゼロでした・・・・・
特に90,91年は予選、予備予選落ちを繰り返し決勝進出はゼロでした。
ほぼ情熱のみで参戦していたチームでしたね。
89年は2台体制となり新車FC189を投入
マシン名称は最初はFC189でしたが、途中からC3に変更されたそうです。
89年ドライブしたのは苦労人のモレノ。
88年のF3000チャンピオンでもコローニのシートしか無かったのが悲しいですね~
パッと見F3000マシンに見えなくもないような気がしますが、89,90年頃の弱小チーム(コローニ、ユーロブルン、リアル、ライフ等)のマシンは大体同じような感じだったと思います・・・・。
89年はモレノの腕をもってしても予選通過は5戦のみ、完走できず。
コローニにとって決勝進出した最後のシーズンでした。
コローニ史上一番スポンサーが付いていたマシンでした。
メインスポンサーのラサンクってフランスのテレビ局だったような・・・・。
90年はスバルがコローニに資本参加しエンジンを提供。
チーム名もスバル・コローニになりました。
89年の2カー体制から1カー体制へ変更。
ドライバーはガショー。
カラーリングはイタリアンカラーへ変更されました。
マシンは前年型の改良型のC3Bとなっていますがインダクションポッドが無くなったので別のマシンに見えなくもないかな~。
マシンデザイン自体もちょっと古い感じがするかな~。
大柄に見えます。
そしてスポンサーロゴの少なさも目を引きます。
スバルが参入したなら日本のスポンサーが付いても良さそうな感じがしますが全く無し。
ガショー持ち込みのスポンサーロゴがあるぐらいですね。
戦闘力皆無だったスバルの水平対向エンジン。
90年はライフのW12エンジンといい何だか訳の分からないエンジンが相次いで登場しあっという間にいなくなっていました。
そもそもなぜスバルがF1に進出したのかもよく分からないし弱小中の弱小のコローニと組んだのか、疑問だらけですね。
バブル景気だったからあまり深く考えないで金を出したんですかね~
スバルに興味を示したのがコローニのみだったんでしょうね。
スバルがWRCにレガシィで参戦するのはこの後でした。
ガショーはあまり文句も言わずに頑張ったみたいですが、マシンがまともに走った回数は少なかったようで予選タイムは良くてポールから9秒遅れ、大体は20秒差はありました。
酷い時にはタイム計測できなかった事もあったようです。
ライフ共々F1で戦えるレベルでは無かったですね。
多分F3000マシンよりも遅かったでしょう・・・・・。
こんなクラッシュ写真は貴重なのでは
第8戦のイギリスGPでスバルが撤退したため、エンジンをDFRに変更しマシンもC3Cに変更して参戦継続しました。
マシンカラーも変更。
元々のコローニのチームカラーの黄色に変更されました。
C3に戻った感じですね。
スポンサーも2,3つ新たに付いたようです。
エンジンがまともなDFRに変わってからは予選タイムはポールから5,6秒差まで縮まりましたが、予選通過を果たす事はできませんでした。
そして91年。
ニューマシンC4で臨みましたが、どう見てもC3C…。
実質3年目に突入しました。
ドライバーはポルトガル人のペドロ・チャベス。
90年のイギリスF3000チャンピオンなので速さはあったと思いますが、チームにマシンが悪すぎました。
出走したほぼ全戦で予備予選落ち、地元のポルトガルGP後にチームを離脱してしまいました。
コローニC4は今でも現存しているようです。
日本GPとオーストラリアGPには当時の日本人期待の若手だった服部尚樹がスポット参戦。
一口2万円の個人スポンサーが話題になったりしました。
服部尚樹がコローニ最後のドライバーになりました。
1/43のメタルキットですかね?
かなりマニアなセレクトが素晴らしい
92年にコローニは買収されアンドレアモーダに名前を変え参戦する事になりました。
当初はC4にジャッドエンジンを搭載してC4Bとして参戦予定でしたが、チーム名が変わった場合はニューマシンを用意しなければいけなかったそうで出走できず、ついに終止符がうたれました。