己の学校生活は、灰色の女子中高という点を除けば、なんの変哲もないものだと思っていましたが、結婚式の話でコメントをいただいて異色だったことに気づきました
そうね…10年間もマリア像と付き合わされてきましたもんね…
そんなわけで、キリスト教という視点から学校生活を振り返ります
なんていうか、ディスりが入っているような表現が多いので、少しでもキリスト教に心を寄せている方は見ないほうが良いです
あくまでこれは、反抗期まっさかりのパンピーから見た「キリスト教」です
ご了承ください
あ、あとこれカトリック系に限った話ですから!プロテスタントの学校はもうちょっとカジュアルだと思うんですけど、よく知りません
まず、普通の学校と違うのは、校内にシスターがうろついていることです
本当に、みなさんが想像するテンプレートのシスター様が十字架ぶらさげて微笑みかけてきます
あ、でも、みなさんの想像と違うのは、シスターは美女ではなくて、高齢者です(笑)
中学1年生ではじめてキリスト教の話を聞いて、よくわからない世界観に「ほえー」となっていたら
1学期の最初のテストは、白紙を渡されて
「主の祈りと、聖母マリアの祈りを書きなさい」
覚えてませーん
親友ちゃんは真面目だから、いまだに言えるそうだけど、栗山は何百回祈らされてもうろ覚えです
そして昼食前、すぐ食べてはいけません
神に感謝の祈りをささげてから食べます
月1回は学校の礼拝堂でミサがあり、神父がモニョモニョ言ってパンや聖水をあれやこれやします
いや、もちろんちゃんとやってたんでしょうけど、興味なさすぎて見てませんでした…
イースターとかクリスマスは大講堂で長時間のミサをします
大半の生徒は寝てましたけどね…
あと聖書とかロザリオとか買わされます
それから社会見学や修学旅行に行っても、帰りは必ず教会に寄って感謝の祈りを捧げます
年を経るごとに、栗山のキリスト教アレルギーはひどくなってきました
最も恥ずかしかった記憶は、学校のシスターたちは絶対に私服を着ないので、街中でもあの格好で闊歩していること
放課後に友人と街で遊んでいると、デパートから出てくるシスターたち…
なんだろうあの恥ずかしい感覚…
自分の親が参観日にキテレツな服で登場してきたような怒り……そんな気持ちでした…
あ、でもキリスト教のお葬式は、みんなで祈ったり歌ったりするので、仏教式より退屈しない活動的だなぁと思いました
唯一、栗山が気に入っていたのは聖歌のラストです
ここから音楽ネタになるのですが
Ⅰ→Ⅴ→Ⅳ(コードで言ったらC→G→F)
これを偽終止といい、別名アーメン終止といいます
聖歌のラストはたいてい、その名の通りアーメンといいながら偽終止なので、和音度フェチの栗山はニヤッとしてました
就職してからは、キリスト教の存在は頭から消えていましたが……3年目のときにシスターが入院してきました
大動脈解離という、けっこうな大病です
結局、キリスト教の方針に従って、手術せず保存療法を選んだんですけどね…今どうしてるんだろう…大丈夫かな?
ICUでも祈っていたそうです
同期がICUで簡単な祭壇を作ってあげたと研究発表で言ってました
そして例に違わず、
母校のシスターでした
まさかの再会…地元から出ないと世界が狭い……
同期の「宗教に寄り添ったケア」という研究発表を聞きながら、中学生のときにデパートから出てきたシスターを見た恥ずかしさが蘇りました
一応フォローしておくと、この恥ずかしさって結局、シスターを「肉親」のように感じているから生じる感情なんですよね
今後、どこかで見ず知らずのシスターを見かけても、親しみと恥ずかしさを感じてしまいそうです
つまりやっぱり、栗山はキリスト教の影響を拭いきれないというか
絶望した!!!
ちなみに、なんでこの中高を選んだかっていうと、ピアノの先生の旦那さんがそこの教頭先生だった&音楽高校受験するつもりだったから、中高一貫にして高校落ちたときの滑り止めのためです。
この教頭、卒業式のスピーチで
「みなさんはワインです。成熟して、男性に飲まれます」
と女子高にあるまじき炎上発言をしたことを、栗山は忘れない…思春期の女子相手に何言ってんだこのオッサン…