九州が大変なことになってますね…コロナとのダブルパンチが痛すぎる……深く哀悼の意を表明します。
それとは関係ない話をして申し訳ありません。
児童虐待にともない、たまに児童相談所の対応なんかが世間を騒がせますが…
児童相談所に入った経験のある人はレアなんじゃないかと思うので綴ってみます
もちろん場所や状況に寄るのでしょうが、栗山の感想としては
「けっこう楽しかった!」
これに尽きます(笑)
最初の夜は、布団一枚が引かれた、外から鍵のかかる部屋に閉じ込められていたので、今後のことを考えて不安でした。
あ、でも、なぜか「夜回り先生」の本だけ置いてあったので、暇つぶしに読んでいました(笑)
翌日からは、5~18歳程度の子どもたち20人弱との共同生活がはじまりました。そこに常に相談員の方が数名いるような状況です。
部活の合宿所みたいなところで、年代と性別の同じ2~3人が同じ部屋で、寝泊りします。
食事や勉強、遊びの時間は皆が集合します。
食事は、食堂で配られ、普通の給食みたいな感じでした。
勉強は、分数とか小数とか、そんなレベルでしたので(笑)
栗山だけレタリングの教材が与えられ(何故そんなオシャレなものがあったんだろう?)、ひたすら練習しました
イメージ図
おかげで、↑のような文字や、明朝体なんかも、何も見ずにスラスラと書ける能力が身につきました
(ポスターやお手紙を書く際に役立っています)
遊びの時間には…主に卓球をやっていました
栗山、中学から卓球同好会みたいなもので(部はなかった)毎日やっていたので、それなりに自信があったのですが……
相談員の卓球の強いこと、強いこと
おそらく、長年この場で卓球をし続けて、鍛え上げられていたんだと思います(笑)
お気楽な相談所生活ではありましたが、ごくたまに闇が垣間見れました
当時わたしは17歳で、同年代の女子はいなかったのですが、14~15歳くらいの子2人と仲良くさせていただいていました。
14歳の子は、万引きとか窃盗とかを繰り返していたらしく、相談所を出た後も、「別の場所」で生活するようなことを言っていました。
15歳の子は、おそらく援交を繰り返して、この場にいたのでしょう。
相談員に「あそこのラブホは、掃除がきちんとされていない」「あそこのアメニティが良い」など、すすきの中のラブホ情報を語っていました
栗山も「なんで、ここ(相談所)に入ったの?」と彼女たちに聞かれ、「虐待されたので保護を求めた」と言うと、とても不思議そうな顔をされました。
世間では、児童相談所=児童虐待の保護というイメージが強いですが、実際は児童に問題があるケースもあるということですね(もちろん、非行に走る過程で、親の問題がありますが…)
児童相談所から出る前日の夜、自分で出ることを決めたとはいえ、ものすごい不安に襲われて、泣きました
ここでの生活が、安全で、普通に楽しくて、また父と家で二人きりになることが怖かったのです。。。
いつも、子どもたちとふざけて遊んでいる男性の相談員の方が、じっくり話を聞いて、頭を撫でてくれました
こうしてシャバに戻った栗山は、何事もなかったかのように学校生活へ戻り、なんだかんだで社会人になりましたが……
テレビで児童相談所の話題が出ると、懐かしい気持ちになります