決意と責任感
在るということを知った私だが、まだ毎日の生活の中で2元性の思考回路で考えてしまう。
バガヴァットギーターの中でもクリシュナは言っている
『所有にとらわえず』
クリシュナ様も
『執着を持たないこと』
私は所有や執着の中で生きていると毎日自分に気付く。
お金と私の所有物。
前の私は、自分の利益を考えてしか行動出来なかった。
今は係わる人がよくなることが、私の役目であり私の利益であると考えられるように少しはなってきている気がする。
どうしても自分の利益をしっかり考えてしまう自分がある。
それなら、責任感をもっと持たなければならない。
ある日、私は独立開業のプロデュースの仕事の中で、クライアントがまだ自分のやるべきことが定まっていなく、私が今の段階でやれることをクライアントに伝えると話をしているとクリシュナ様は言った。
『アルジュナ、アルジュナはもっと責任感をもって行動しなければならない。』
私はこう答える。
『私は責任感というより、わからないことに答えるのが嫌なのです。
今大丈夫だからと先のことを言うのは簡単だし、安心感を与えてあげることは確かだと思います。
でも先のことはわからない。そんな事に大丈夫と簡単に答える事に罪があると思います。』
クリシュナ様は
『アルジュナ、アルジュナがやると決意をして、相手をその方向に進めてあげること。
その責任感を持って仕事をすればよいのではないのですか。』
『でも、それはクライアントが本当にやりたいことではなかったらどうするのですか?』
『クライアントは定まっていないから、不安でどうしていいのかわからない状態なのです。
定めてあげることも、進めてあげることも、アルジュナが責任感をもって行動してあげるだけなのです。あなたに責任感をもつ決意がないだけだと私は思います。』
責任感を持つ決意
私は確かに仕事という枠の中でも2元性でしか捉えることしか出来ず、自分を自分で苦しめているのだ。
こうやってこのブログを書きながら、自分を客観的に観ている時間にしたい。
気付きの時間であって欲しいと願いながら。
決意を持てていないから、責任感がないのだ。
そして加害者と被害者意識なら、私はまた被害者を演じてしまっているのだ。
こんな自分が嫌になりながらも、こんな自分が可愛いと思えるようになったのは最近である。
私は本当に知識のないひよっこだと思う。
だからこそ、知識ということをどんどん与えて育ててあげたいのだ、自分自身を。
そしてその為に最近わかったこと
クリシュナ様に全面的に依存しようと。
そして自分のものに所有や執着をもってはいけないのだ。書きながら、そんなことが出来る私がくるのだろうかと思ってみたりする。
これからは
私がやると決めたことは決意をしないといけないのだ。決めるということは決意することである。
そして決意したことに責任感をもたなければいけないのだ。
『あっ、やるよ!』と言った瞬間に決意なのである。