こんばんは。

 

今回は、息子の幼少期の話ではなく、

成人している今の話です。

 

先日、息子を車で迎えに行き、

帰りの車の中で、小学生や中学生たちが下校する姿を

信号待ちで見かけました。

 

私は、何となく今まで言えなかったことを話しました。

 

「あのさ、いつも子供たちの下校するところ見て思ってたんだけど

 ○○(息子の名前)も、本当は、普通の学校通ってたら、

 こうやってお友達と楽しくおしゃべりしながら帰ってたんだよね。

 お母さんさ、ずっと○○にはこういう当たり前の生活させてあげられなかった事を悪かったと思ってるんだよ。なんていうのかな、可哀想な事したと思ってるよ。」

と、話しました。

 

息子もこんな事言われても困るだろうな、

思いましたが

すぐに話だしました。

 

「そうなんだ。

 ぼくは、逆に登下校の姿を見てて、皆のほうが可哀想だとずっと思ってたよ。

 特別支援学校も嫌だったことが多かったけど、

 普通の学校の方が、僕の場合嫌だったよ。みんなといっしょに話したり過ごすのは嫌だったから

みんなが可哀想だと思ってたよ。」

(ノーマライゼーションの関係で、特別支援学校から地域の学校に小学4年生まで、

図工やイベントなどは、特別支援学校の担任の先生と毎回同じクラスに参加してました。)

 

 

そうなんだ・・・。

 

普通にこだわっていたのは私だったんだ。

 

今も、普通に(私が送ってきた生活。例えば、友達同士で遊んできたり、バイトしたり)生活できないことを可哀想だと思ってしまいます。

切なくて苦しいです。

 

けど、本人は仕事して、自分でアイデアも出したりして作品を作って、作業所の職員さんは優しく相談にものってくれて。

他の利用者さんともおしゃべりしたりして

彼が今囲まれている世界は、狭くてものたりないものではないんだと思いました。

 

もちろん色んな経験もしたいだろうし、

見たことない世界をみせたい。

 

けど、なにが心地良いかは人それぞれ何だと思った帰り道でした。