こんにちは。とてもおひさしぶりです。

今日は,私の身に起きた印象的な出来事について日記形式で綴りたいと思います。

今回の内容は,社会的にセンシティブな部分があることをご了承ください。

また,私は『宗教』という存在や考え方についてこのブログで一切否定する気はございませんし

特定の思想・特定の活動の奉仕者の方々を冒涜する目的で今回の記事を書いているわけではないことをご了承ください。

 

それどころか,むしろ私は宗教に興味があります。

それはスピリチュアルに関心があるからでも,

心霊現象の効能を信じるからというわけでもなく,

またそのような非科学的パラメータに関しては『科学が追い付いていない』などの浅はかな言葉で片付けるつもりもなく

単にわからないものに関して意味づけをするべきではない

そして宗教の神秘性という言葉を理由に批評的な視線論理的整合性を無視する考えを許容すべきではない

といったふたつの視点がわたしの中に存在することが前提にあって初めて成り立つ興味です。

 

ではなぜ興味があるかというと,宗教が人類の歴史上に与えた影響は無視できるものではないからです。

宗教は人間を統治して文化をひとつに束ねるうえでとても都合の良い使われ方をしています。

わが国でいう日本神道を例に挙げますと,

様々な諸説がありますが,

聖徳太子のさらに昔,

上古のひらがなすらまだ存在せずまだ各地に古墳を作っていた時代に

日本全国に様々な豪族が存在し,その数だけ宗教が点在していました。

日本はまだ“ひとつの国”としてまとまっていませんでした。

そんななか勢力がいちばん大きかったヤマト政権の長である天皇(すめらみこと)は

天照大御神の末裔であるとして唯一のトップに君臨し

彼らを中心としたストーリーである日本神話が

ただひとつの正当な真実の伝承としてつくられ

その話を裏付けるように全国各地にもともとあった各豪族の祭祀所が

新たに天皇を崇拝する神社として生まれ変わりました。

そして,従来存在した各地の豪族にまつわる神話や伝承は

天皇を中心とした日本神道のストーリーに都合のいいように改変され

神社とともに元からあったものとして扱われたのでした。

つまり,神話が特定の血族をトップの後継者として正当化する理由になり

それをもとにひとつの大きなヒエラルキーが生じたことで,

日本というまとまりのある国家が生じるのに宗教が重要な役割をしたという大きな一例です。

 

ここまで長い宗教観と意義について述べましたが,私の中でのそれはまた別の意味も持ちます。

私は高校生の頃,勉強を放棄して形而上の問題,例えば,人生だったり幸福について考えました。

その過程で,様々な考えに触れようとして実際に図書館に行きさまざまな宗教の本に触れたり

外見を変装して宗教団体の集会に潜入し偽の住所を書いて話を聞いたこともありました。

しかし,彼らは何かにつけて論理性を仄めかす発言こそするものの

実際の中身はひとつも一貫した思想や幸福の本質を伴っていないものが多く

むしろ各自で思考を放棄することを勧めた反文明的思想

神秘性を理由に考えの及ばない馬鹿な奴からお金をふんだくる悪徳集団

『○○様の素晴らしいお言葉』という名の難解な日本語の断片を幼稚園児が張り付けたような言葉

聞いているだけで血の気が引いて時間を無駄にする『価値のない戯言』ばかりでした。

そこで私はひとつの結論に達しました。

私が信じるべき宗教とは

私の思考に基づいた本質的幸福なのではないか,

つまり私は私のみを信じ

教義は俺の気持ちで変動する。

そういった宗教に入信することで

幾分か気持ちが楽になりました。

(2へ続く。。。)