今現在(2023年2月),私は博士前期課程1年生,
俗にいう修士1年というやつである。
一般の大学生では大学3年生にあたり,
死にもの狂いでリクルート活動をするべき時期である。
一方でまったくやりたい仕事が見つからない。
説明会を聞けば聞くほど眠くなってくる。
だいたい,社会人として自分がやっていくことが出来るのか不安でもある。
これには漠然としたイメージによって言語化されたものではなく
私の過去の実体験・失敗経験に基づいている。
私は性格上,特定のコミュニティーに属して何かの仕事をするのがつらくて仕方がない。
上司が非論理的かつ,まったく面白くない/誰の得にもならない発言をするたびに
激しくストレスを感じて,素直に指摘・反応してしまいたくなるのである。
それが反射的に抑えられないゆえに
これまで何度バイト先などで上司と険悪な雰囲気になったことか。
これにはおそらく,私の人間観に社会的な一般論とは異なる部分があるがゆえに
引き起こされる問題であると今のところ考えている。
天は人の上に人を造らず by Y. Fukuzawa
どんなにふんぞり返っているやつでも所詮は人間である。
先輩だろうと店長だろうと,肌の色が虹色であろうと
立場によって言いたいことを変えてしまうのは良くないことである。
立場上,自分の方が有利にある人は,自分の尺度で作り出したものの捉え方を
さも一般論であるかのように,人に押し付けて話してしまいがちであるから。
客観性を見失った馬鹿と真剣な眼差しになって議論を交わすときほど苦痛な時間はない。
仮に少しでもそういった話の中にお笑い要素が入っていれば,
「あぁ,これはお遊びでやっているんだ」と割り切ることが出来るが,
饒舌さからくる自信とともに,個人的な尺度に基づいて真剣な議論をするやつに付き合っている時,
そういう人間はたいていムキになって自分のゆがんだモノサシで作った一般性のない論理を
"さも完全である"かのように人に押し付けようとしてくる。これがとてもめんどくさい。
結局こちらが不快にもしぶしぶ"ハイハイ"と折れるのが関の山であるから。
(おそらくこれはMBTIのINTJ型特有の思考回路なのかもしれない;このタイプが恋愛超絶下手というのはこの"めんどくさく感じてしまう部分"に起因しているんだと思う...)。
そういう面倒くさいやつに絡まれて無価値な議論で自分のお腹を痛めないようにするために
『自己防衛』として社交性をなくす方向にアクションを起こしていくのである。(あぁ,また卑屈な文章を書いてしまっている。。。)
全然関係のない話題になってしまったので話を本筋に戻そう。
就活生イベントに参加して思ったのは,『優秀な人が多いが,奇想天外な人がいない』という刺激のなさである。
刺激を求めるものではないのかもしれないが,どいつもこいつも企業に悪いイメージを与えないようにと必死になって媚びている。
まぁ就活なんて,人事や社員の偉い人をいかに喜ばせるかにかかっているのであろうから
そうなってしまうのもしかたがないのであろうけれども,
おそらく『リクルート活動のつまらなさ・自分との合わなさ』はここからきているのであろう。
日本の企業なんて所詮は年功序列であるため,穏やかに刺激がないのをよしとしてしまう文化があり
『伝統なんて氏ね』という考えを持つ私にとってのそれは,"破壊衝動"を誘起させる原因になってしまう。
一般的な日本の企業に向いてないのである。いや,もっといえば究極にマイペースで気まぐれなので
社会人も向いてねーのだ✨。おそらくこれは日本以外もそもそもビジネスマン向いてないということである。
これまでの就活において
最終面談の偉そうなやつと話をする機会があった。
文系の人はこちらの作った笑顔に合わせて優しくコミュニケーションすることが多いのであるが
理系の技術者としてのし上がってきた人間は目がイカれてやがる。
実績でのし上がってきたからか,プライドが高くて,機械語のような何の言語的な遊びもないつまらない日本語で,ひたすら普通の人なら気にしないようなどうでもよいポイントを論理的に説明させようとしてくる。
私と当たった面接官は,およそ人と楽しく話を盛り上げようという態度ではなく
頭も固くて一つの観点からしか物事をとらえることが出来ないやつであった。
たとえば『円柱はどんな形か。図示せよ。』という問題があったとしよう。
普通に考えると,斜めから立体的に描くのが正解だろう。
しかし実は円柱は【横から見ると長方形】【上から見ると真円】になるのである。
そしてこのふたつがどちらも間違いではない事実である。
このように,物事も見方によっては二つの形をするものであり,相手の視点を理解した上で論理展開進めていくべきである。
円柱の例でいえば,『一目で円柱である』ことを明確に認識させるために
斜め上の視点に誘導していくことが大切である。
しかし,今回話した相手は頑固にも【円柱をひたすら横から見て長方形だ】と言い切ったうえで話をしてくるような類の面接官であった。
一応エスコートを試みたものの,私の誘導力が足りなかったのであろうか。
私の説明は,彼の望んだものとはずれていると判定されたらしく
「この程度の議論もできないのか」とはっきりとした口調で貶されて最終面接で落とされた。
私としては,この経験を単純に「面接官の相性が悪かったからこの会社とは縁がなかったね。気持ちを切り替えて,新しい企業受けようか(*´ω`)」で終わらせたいとは思わない。
もちろん,"相手の視点・論点をもっと把握してそれに基づいた適切な対処が取れるようにすべき"という私の能力的な未熟さにも原因があるかもしれない。
しかし,彼らと私の性格的な違いから,そもそも「自分は技術者向いてないのかもしれない」という疑問点が出てきたのである。
『工学系の理系院卒だから希少だし就職強いよ!! せっかくだしエンジニアになってじゃんじゃん稼ごう!!』
果たしてこの考えは,自分の幸せを希求した先にあるものなのであろうか??納得できるものであるか?
そのような疑問提起をすることで,
相性の悪い面接官と当たっているのも運命的なものなのかもしれないと考えるようになった。
神は私をビジネスマンとしてではない活躍に導いているのではないか!?
そういった神とか占いの類は結果から照らし合わせていくものなので,基本的には信頼しないものではあるが,今回に限っては
「今まで本質的にどのような状況で幸せだったのか」について深く考えさせられるきっかけになった。
すると,いままで歩んできた人生の中でとんでもなく幸せな瞬間があったことに気づいた。
それは,他でもない。
「深夜の上野公園の交番横で,吐きそうになりながらもチューハイを片手に握りしめて,BeatlesのHelp!を歌いながら発狂している時」である。
このときは人生で最高にロックなのである。
この感動は人に伝えなくてはならない。これまで社会的に爪弾きにされてきた私だからわかる,,,私にしかできない作品を作るポテンシャルがあるのではないか。
つまるところ,私のしたいことは芸術活動に帰結するのではないかと考えた。
結局私が何をしたいのかは分からないが,幸せのピントをどこに合わせていくか
その先は今のところ「ロック」にあるのではないかと考えている。