今年は、心臓が悪い父の障害者手帳の更新の年で、市役所からお知らせが来ていました。

市民病院で意見書を書いてもらって、市役所に手続きに行ったら「3ヶ月かかる」と言われたので、年明けになるかなぁ…、と思っていたら年内に交付してもらえました。

等級は前回と同じく1級で、この先もずっと同じで変わらず、そして今後の更新は無いそうです。

もう、証明写真を撮るのも難しい状態になっているので、助かります。



ところで父は昔から、こういう手続きに関しては自分のことであっても一切動こうとしませんでした。

ずっと、そういう性格なんだろうと思っていましたが、もしかしたら動かないのではなく、元々できない人だったのかもしれない…と最近は思う様になりました。



市役所に行くと、結構なお年寄りが、窓口の人に説明を聞きながら、自分で手続きをしていらっしゃるのです。

その姿を見て、歳を取ってからの母もこんな風に、父のできない部分を補ってきたんだろうなぁと思いました。

「お父さんは自分で動こうとしないし、私の具合が悪くても何もしてくれない」
と言う母の愚痴をよく聞いていましたが、父は自分の苦手なことは家族に命令することで解決してきただけなのかもしれません。

それを昔は『亭主関白』などと呼んでいたのかもしれない。

『関白』って、昔、天皇を補佐して政治のいっさいを行った重職のことを言い、権力・威力の強い者の例えとなった言葉ですが、そういう人が権力や威力を無くすと、とても淋しい存在になってしまうんですよね。

今や『亭主関白』なんて言葉は、廃語になっていますが。



母が亡くなって
「なんもできん様になってしまった」
と言っていた父でしたが、自分ができない部分を自覚していなくても、ずっと何とかなってきたのだろうなと思います。

今は確かに加齢や身体を動かさないことにより、できないことが増え続けてはいますが、父の考え方や行動がおかしいのは、認知が衰えているというより昔からだったな…と思う部分が多いのです。

かつて、発達障がいと診断された息子のことを「おかしくなってしまった」などと言って私を激怒させた父も、得意な部分と不得意な部分に大きな差があり、得意な部分を活用することで半世紀も社長を続けてこられたけれど、息子と同じく不得意な部分に関しては、成人になっても尚、サポートが必要な人だったのかもしれないと思います。

多かれ少なかれ、人にはそういう部分があるのだろうなと思います。

それでも、多いと少ないとでは全然違う。

誰かの支えが無くなると途端に何もできなくなった様に見えるのは、父だけではなく私の家族全員の特徴なのかもしれないと思います。