この前、妹がいつも録画して見ている朝の番組で、発達障がいの特集をやっていたと電話で教えてくれました。
残念ながら、私は録画していなかったので、妹に教えてもらうまで内容はわかりませんでしたが、妹は、自分の様に、身近に診断された甥がいても、わからないことはいっぱいあるから、こんな放送があるのは有り難いと言っていました。
『発達障がい』とされている当事者であっても、病院で診断されても、いちいち
「こんな症状があるんですよ」
と教えてくれる訳でも、その対処方法を教えてくれる訳でも無いので、うちの息子は、診断後も自分が聴覚過敏であることを知らずに成長し、なぜ自分が人より疲れやすいのか、わからないままでした。
当人がわからないのに、まわりがわかるはずもなく、疲れやすいのは生まれつきの体質から来るものであっても、気持ちの問題だとか、根性が無いからとか、他人や自分を責めて評価を下げてしまい、やがてそれが生き辛さを生んでしまうんだろうなと思います。
音に過敏で疲れやすいことの他に、臭いやひかりに過敏があるとか、字の読み書きができないとか、計算ができないとか、そういう症状がある人に、それがいったいどういうことであるのか理解もしないまま、その様な症状の無い人と同じ方法で努力を強いることが、いかに効果や効力が無いかも知らない。
同じ様に診断された人でさえ、自分の症状だけが症状であって、それ以外の症状は、単なる本人の努力不足だとか、気持ちの問題だとか思ってしまっている。
『単なる本人の努力不足』だとか、『気持ちの問題』だとか思われてしまうのは、その原因や対処方法が違うだけであって、起立性調節障害も同じですよね。
生まれつきのものは、自分と他人がどう違うのか、他人になったことが無いからわからない。
だから他人のことは、理解しなくていいと思うのか、わからないからこそ知りたいと思うのか。
それが自由であるならば、自分語りのみで、他人のことは理解しなくてもいいと思い込んでいる人に、いくら理解を求めたとしても、理解しようとはしてくれない。
その様な人に理解を求めるのは、全く至難の業です。
けれど、他人の全てを私が理解することは不可能であると思っていても、それを知る機会を与えられたならば、たとえ一部でもいいから知りたいと思います。
それは人のためと言うよりもむしろ、自分のことさえよく解っていない、私自身を救う機会でもあると思っています。
残念ながら、私は録画していなかったので、妹に教えてもらうまで内容はわかりませんでしたが、妹は、自分の様に、身近に診断された甥がいても、わからないことはいっぱいあるから、こんな放送があるのは有り難いと言っていました。
『発達障がい』とされている当事者であっても、病院で診断されても、いちいち
「こんな症状があるんですよ」
と教えてくれる訳でも、その対処方法を教えてくれる訳でも無いので、うちの息子は、診断後も自分が聴覚過敏であることを知らずに成長し、なぜ自分が人より疲れやすいのか、わからないままでした。
当人がわからないのに、まわりがわかるはずもなく、疲れやすいのは生まれつきの体質から来るものであっても、気持ちの問題だとか、根性が無いからとか、他人や自分を責めて評価を下げてしまい、やがてそれが生き辛さを生んでしまうんだろうなと思います。
音に過敏で疲れやすいことの他に、臭いやひかりに過敏があるとか、字の読み書きができないとか、計算ができないとか、そういう症状がある人に、それがいったいどういうことであるのか理解もしないまま、その様な症状の無い人と同じ方法で努力を強いることが、いかに効果や効力が無いかも知らない。
同じ様に診断された人でさえ、自分の症状だけが症状であって、それ以外の症状は、単なる本人の努力不足だとか、気持ちの問題だとか思ってしまっている。
『単なる本人の努力不足』だとか、『気持ちの問題』だとか思われてしまうのは、その原因や対処方法が違うだけであって、起立性調節障害も同じですよね。
生まれつきのものは、自分と他人がどう違うのか、他人になったことが無いからわからない。
だから他人のことは、理解しなくていいと思うのか、わからないからこそ知りたいと思うのか。
それが自由であるならば、自分語りのみで、他人のことは理解しなくてもいいと思い込んでいる人に、いくら理解を求めたとしても、理解しようとはしてくれない。
その様な人に理解を求めるのは、全く至難の業です。
けれど、他人の全てを私が理解することは不可能であると思っていても、それを知る機会を与えられたならば、たとえ一部でもいいから知りたいと思います。
それは人のためと言うよりもむしろ、自分のことさえよく解っていない、私自身を救う機会でもあると思っています。
