◆マイカー遍歴について(4)◆
またも、お酒とは全く関係ない内容ですが…
3台目のマイカーは、4ドアセダンのオートマ車でした。
やはりカーマニアとしては、今一つ盛り上がらない実家の車です。
そんな時、入退院を続けていた実母が急逝(´;ω;`)
当時、まだ大学生だった拙生はかなりショックを受けます。
何が辛いって、親孝行できずに逝かれたのが一番だったですね…
話を元に戻します。
未だに実家の車に対してだけは不満を持ち続けていました(^▽^;)
そこで父との交渉を始めます
・朝は必ず、晩も早く家についていたら、駅への送り迎えをする。
・2台目の全損で受け取った賠償金を、購入金の一部に充てる。
・ガス代はバイトで稼いで、極力父に負担をかけない。
・大学は、今まで通り皆勤で卒業を目指す。
どれも当然といえば当然なのですが…
以上の約束を守るという条件で、実家の車を買い替えることになりました!
【マイカー4号:トヨタ スプリンタートレノ GT TE65】
4台目の自家用車は、スプリンタートレノGT(TE65)でした。
カローラから派生したスプリンターのレビン同等のスポーツモデルです。
27レビンから続いていた2T-Gエンジンが、排ガス規制で一時パワーダウン。
それをEFIと3元触媒仕様で、再び115馬力に復活した2T-GEUエンジン搭載!
当然ながら、人気のカローラレビンと悩み、相見積もりも取りました。
最終的には、カローラ店とオート店の、下取り込みの値引額の差と、
サービスマンの差で決定した記憶です(≧▽≦)ノ
自身初めての新車は、完全に親のすねかじり状態での購入です(^▽^;)
初期費用を抑えるために、標準の鉄チンホイールを選択。
色はグリーンブラックメタリック(?)という濃い色を選択です。
※この人物、今より20kg以上軽かったころの拙生です(^▽^;)
この頃は、フェンダーミラーがまだ標準で、もちろん手動ウィンドウ。
車重には不利な、衝撃吸収バンパーも標準装備でした。
早朝父を駅まで送り、そのまま大学まで自動車通学。
週末はバイトをしまくって、必死にガス代を稼いでいました。
そして少しでも時間があったら、手洗い洗車にワックスがけ(^▽^;)
※右隣は友人の車、カローラ30の1600SR、ソレックスツインキャブ仕様です。
その後、少したまり始めたバイト収入で色々チューンナップを開始。
ヘッドライトはHELLAのハロゲンランプ。
ホーンはボッシュのラリーストラーダ、いわゆる渦巻きのダブルホーン。
ステアリングはナルディの革巻き3本スポークをつけた記憶です。
フロントグリル内にはマーシャルのスポットライト取り付け。
そして、ホイールは頑張って、イタリアのカンパニョーロ製マグホイール!
マグネシウム合金の鋳造(?)で、ものすごく軽かった記憶です(≧▽≦)ノ
さらにカーステレオは、パイオニアのカロッツェリア!
200W超級のパワーアンプ、フロント2wayドアスピーカーにツイーター追加、
リアはデバイディングネットワーク使って、3way6スピーカーやら…
車いじりというか、半分カーオーディオオタク状態(^_^;)
当時は自分で編集したメタルカセットを聞いて通学やドライブ(≧▽≦)ノ
ってまぁ貧乏学生には頑張ってここまでで精いっぱいだったかな。
【主な仕様】
最近の高性能車に比べれば、かなり見劣りしますが、
パワーウェイトレシオ8.39は、当時としては十分にスポーティーな車でした。
結局大学教授の推薦で入った大学院修士課程まで通学で走り回りました。
最長で年間4万キロくらいは走ってたんじゃないかな(^▽^;)
メーター1周超えるまで乗り倒した記憶です(≧▽≦)ノ
これだけ走れば、タイヤやブレーキパッド交換は当然ですね。
ヘタったダンパーはカヤバに交換、クラッチ板のオーバーホールもしました!
最終的には17万㎞くらい乗っていたのかな。
そして就職も決まっていましたし、無事に大学院を卒業(*^^)v
社会人になると同時に、父の送り迎えはも卒業することとになりました。
給料が少し溜まってきた就職一年目の夏に、次の車を探すことになります。
とりあえず今回はここまでかな。
マイカー5号については、次回また語ろうと思います(≧▽≦)ノ