2025年 11月17日 (月曜日)


京都には、奈良の大仏より大きな大仏があったんですよ。


秀吉が作らせて、江戸時代に火災で燃えたあとも、また作られて、昭和の時代まで大仏がありました。


ということは知っていたし、大仏餅というお菓子も食べたことはあったのですが、「ブラタモリ」で紹介されたのでまた大仏殿の跡地あたりを歩いてみました。


番組で紹介された門

太閤塀ですが、秀吉が作ったわけではなく、
秀頼の時代に五大老(家康が中心だった)が作ったもので、三十三間堂と大仏を一つにまとめた。

秀吉の家紋が入ってます。

門の遥か彼方に、昔は大仏があった。
今は国立博物館が見えます。

博物館の先に、現在は豊国神社があります。
イチョウの大木がきれいに色づいてました。

方広寺の鐘
家康がいちゃもんをつけた、教科書にも乗っている例の鐘です

天井の絵が立派

豊國神社と方広寺の間の細い道を抜けたさきにある大仏があった跡地の公園

大仏がすでにないので、大きさは想像するしかないです。

フラタモリの中では風船を飛ばして、大仏の大きさを表現してました。

再び方広寺の方へ戻り、

火災で焼けた石を確認し、



京の大佛餅所

大仏餅を店内でいただきました。

甘春堂のおもて、
和菓子つくり体験も出来ます。

以前大仏餅を買ったときは、個別パッケージではなかったので、大幅リニューアルです。
日持ちは2日なので、1個は食べて、もう一個は自分にお土産にしました。
あとは近くをお散歩
市川屋珈琲店
久々に行きましたが、フルーツサンドの値段がかなり高くなってて、手が出せません。

フルーツサンドとコーヒーで2千円近くなっちゃう。

火焚祭は終わってますが、
新日吉神宮は、いまひえじんぐう
と読むことを知りました。

河井寛次郎記念館は休館日

でも、このあたりを散歩したのが久々で、お天気も良すぎるぐらいで、歩いてると暑くなり、汗をかきました。

人間の背丈よりも大きな石を使った石垣があるのですが、その写真も撮ればよかった。

この大仏と、その周辺を含めて秀吉が整備するために、角倉了以に高瀬川を掘らせたそうです。
『知恵泉」という番組でやってました。
巨大が石や木材を運ぶためには水運が必要だったのでしょう。
そのルートがどうなっていたのかを知りたいのですが、それはわからず。
また、どこかの番組でやってくれないかな。

豊國神社の前の道は、正面通という名前で、元は大仏の正面という意味でした。

仏像は昭和まであったと聞くと、また作ってほしいとも思うけど、それは無理なのかなぁ。