何年か前、社員旅行で長島温泉に泊まったことがある。
全長166kmの長良川が伊勢湾に流れ着き、木曽川と合流する中之島にある温泉地だ。
しかも滅多に泊まれないけど、チョイスもしない大型の高級旅館である。
残業は多いわ安月給だわで、女工哀史のような日々だったが、
こんな場合のみ一切、個人負担なしという、体質的に高度成長期の小企業だったのだ。
だから、どんちゃんと、めちゃくちゃ飲み食いした記憶しかない。
旅館のHPで見てみたら、結構なお値段なのでビックリしたが、
今でも、その分の現金をくれとは、思う。
さて、そんなことは全く関係ない。
だだっぴろい大浴場と、露天風呂まで走っていくのが寒かった。
しかし温めのお湯は、とろんとしてて期待以上に温泉だった。
そんなことしか、覚えていない。
それと宴会用広間の窓一杯に広がる、長良川の広大な灰色の風景。
墨を流し込んだかのように、暮れなずむ空と一体化した大河。
長良川とは淀んだ大河、長く私はそう思いこんでいた。
この夏の始め、郡上八幡に行った折り宿泊した、ふたこえ温泉での宿を後にし、
(皆様、憶えて下さってますかぁ?)
ひるがの高原まで足を延ばすことにした。
ひるがの湿原植物園があり、水芭蕉がまだ咲いているかも知れない。
その道中、「長良川源流 夫婦滝」の大きな看板を発見!!
ぎゅぎゅんっと、駐車場にハンドルを切る。
実は、私の心の引出には、今までに訪問した滝のコレクションがある。
ただ未整理なのと健忘が融合して、展示できないだけだ。
岩走る清流に沿った遊歩道の空気は、冷んやりと湿り気を帯び、
汗ばんだ肌に気持ちよい。
足元が苔むした岩に変わり、足場が悪くなった頃、耳は轟く滝音を捉えた。
10分歩いただろうか、遊歩道が水浸し、小川状態になっている。

「長良川源流」と書いてある高さ1mの杭の根元、地面の岩場から、
出し放しの水道みたいに水が湧き出し、川へとこぼれ落ちている。
水は冷たい。掬った手を払いたいほど、冷たい。
口に含めば土の匂いにも、苔の匂いにも染まらず、ただ清澄だ。
源流水を通り過ぎほどなく、姿を捉えた夫婦滝は、文字通り二筋の水を落としている。

岩に阻まれ滝壺までは行けないが、飛沫が日に燦めきながら空気を充たしている。
青く晴れた空と木々の深い緑の空間を、水の玉となって舞っている。
水流によって作り出された、冷風に乗って、私にまといつく。
体の底をすこん、と抜いて、大きく大きく息を吸い込む。
もっともっとたくさん、体の軸が涼しくなるまで、息を吸い込んでみる。
川沿いに転がる岩には、澄んだ空気を養分にして
分厚になった苔をしとねに、実生の木が空を目指していた。
いずれ世紀が変わる、そんな未来には、岩を砕き見上げる大木に育つのかもしれない。
この空気が、この地がいついつまでも、このままでありさえすれば。
地を這う巨龍の如き長良川が、湧きいずる所には、そんな祈りが込められている。
※ 2007年七夕頃の旅行日記です。
滝は湧水箇所より上流にある。
この夫婦滝の上流は、長良川源流水ではないのだろうか?
たまたま地脈の関係で、滝になり損ねた水が岩場からこぼれ出ちゃったんだとか?
この疑問は、未だ解けていない。って、調べてもないけど。(すんまそん)