
蕭佑はこの処、浮き立つような気分の時もあれば
正直当惑もしていると言う複雑な心境を抱えていた。
英俊と綺眉の息子夫婦は梁狸洞にある蕭家の別宅に移らせた。
こじんまりとしており新婚夫婦にはぴったりだと思ったからだ。
小庸の言うように綺眉の結婚は甘やかなものではなかったろう。
あたら少女の頃に義祖父のような男に貰われて苦労したのに子育ての後また義父に仕えなければならないとしたら可哀想だ。
使用人以外は二人きりの甘い生活も経験させてやりたい。
それは蕭佑の思い遣りだった。
息子夫婦は同居を望んだが蕭佑はそれを拒んだ。
労られる歳でもあるまいし、独りで清々するわいと追っ払ったのだ。
孫でも生まれた後なら同居しても良いと言ったら渋々諦めて移って行った。
けれど夫婦が去ると今度は入れ替わりのように娘の小庸が頻繁にやって来るようになった。
小庸は蕭佑の海賊討伐の手柄話を聞きたがり、またある時は囲碁の手解きをしてくれと頼まれた。
彼女は土産だと言って手作りの菓子や点心を持参して来る。
これがまた心憎いほど蕭佑の好みに合うのだ。
そうなると夕飯を食べてゆけと言わざるを得ず二人で食卓を囲む羽目になるのだ。
飾り気の無かった居間も小庸の生ける花々で美しく飾られるようになり、蕭佑だけでなく家僕や賄いの人々までが彼女の来るのを楽しみに待つようになった。
たまに連絡もなく訪れがないとその日は一日心配になって蕭佑はやきもきとした気分を味わった。
翌日やって来た小庸は少し目が潤んでいた。
「伯父様、昨日は咳が出たので訪問を控えていました。伯父様に風邪を移しては申し訳ありませんから」
蕭佑は何気なくその目を見てドキンと狼狽えた。
「もうすっかり秋なのだから気を付けなくてはな…」
すぐ側にまで寄って来られると芳しい香りがそこはかとなく漂って来る。
ついその香りを嗅いでしまいそうになり蕭佑はすんでの処で身をかわした。
ダメだ…
蕭佑は娘を持った事がない。
疑問が湧いてくる。
蕭佑は今年四十ニになる。
一体彼女は何が嬉しくてこの壮年を相手にするのだ?
厨房から声が掛かった。
「旦那様、魚蝶が来てます」
蕭佑は魚に目がない。
出入りの魚屋が来ると自ら魚を選びに出るのだ。
特に新鮮な魚を見つけた時は酒が美味い。
「よお…魚蝶」
蕭佑は厨房の裏口に桶を置いて座った少女に声を掛けた。
男髷の少女はニッコリと蕭佑を見上げた。
魚蝶は幼い頃から父親に従って魚を行商に来ていた。
その父親が倒れた後一人で引き続き商いに精を出している。
魚蝶は小庸と歳が似通っている。
「旦那さん…今朝は荒れ模様だったから今日はロクなのがないんだよ…川海老が時期だからそれにしとけば?」
魚蝶は何時もタメ口だが蕭佑は叱った事がない。
頭の回転が早く気の利く魚蝶を気に入っている。
蕭佑はじっくりとピチピチ跳ねる海老を見定めると頷いた。
魚蝶は手早く海老を全部厨師の盥に移すと「毎度あり〜!」と笑顔で元気良く立ち上がった。
帰ろうとする魚蝶を蕭佑が引き止めた。
「魚蝶…ちょっとお前に聞きたい事がある」
魚蝶は賢そうな瞳をくりくりした。
「なに?旦那さん」
「ちょっと、こっち来い」
蕭佑は魚蝶を中庭まで連れて行った。
思い切って尋ねた。
「魚蝶…お前なら四十年配の男をどう思う」
魚蝶は腕組みをすると蕭佑に向かってニヤニヤと薄笑いを浮かべた。
「へえ〜…旦那さん、若い女に惚れたんだ〜」
蕭佑は年甲斐もなく赤面した。
「ば…馬鹿言うな…儂がそんな浮ついた中年に見えるか?」
魚蝶は腕組みを外すと次に人差し指をピンと立てた。
「分かった!惚れられたんだ!」
蕭佑は慌てて唇の前に指を立てた。
「しっ!デカい声を出すな」
魚蝶は尚もニヤニヤ顔で追求した。
「ふっふっ…無理しなくて良いよ…実はここの処さるお嬢様がこの屋敷に通ってるって専らの噂だよ」
「なに…噂になってるのか」
「ま、出入りの商人の間だけだけどね」
蕭佑は深刻な面持ちになった。
「それは…いかんな、彼女の名節に関わる」
魚蝶はばっさりと斬り捨てた。
「そんなの!噂じゃなくて本当にしちゃえばいいじゃん」
「馬鹿言え…親孝行の積りで来ているのだ…」
魚蝶は突如として真面目な顔になった。
「旦那さん…あたしだったら好きでもないオジさんのとこへ通ったりしないよ。そのお姫さんマジで旦那さんの事が好きなんだと思うよ」