中国飴細工

席に着いた三名は其々好きなものを選んだ。
「龍井茶を…」
「あたし桂花糕と茉莉花茶」
「俺は緑豆餅と黒糖生姜茶」
「あなた達甘いお茶が好きなのね…私はお菓子を頂く時お茶は渋めのほうが好きだわ」
「お前は茉莉花茶の甘い香りも苦手だったな」
突然令宣の声が上から降って来たので三人はびっくりした。
「旦那様!!」
三人は一斉に令宣を見上げた。
「臨波がお前達を見かけたのだ」
臨波が面白そうに口を挟んだ。
「侯爵は言うより先に足が向いてましたよ」
令宣はジロりと臨波を睨んだ。
「臨波余計な事を…まあいい、我々もお相伴させて貰おう」
桔梗と萬大顕が立って声を揃えた。
「旦那様、どうぞどうぞ〜」
十一娘は隣に座った令宣に品書きを渡して尋ねた。
「旦那様、何になさいます?」
令宣は給仕に品書きを返した。
「私も龍井茶を貰おう…臨波もそれでいいな?」
「俺は飲めたら何でも結構です」
腰を落ち着けた臨波が十一娘に尋ねた。
「奥様、近頃何か変わった事がありましたか?」
その目は実に興味津々だ。
令宣が見咎めた。
「臨波、私の妻に何を聞くんだ」
十一娘が微笑んで答えた。
「いいんです。…実は天覧会があってなかなか主題が決まらなくて頭が痛いの」
桔梗が口を挟んだ。
「旦那様、奥様はそれで朝からずっと悩んでおられて身体にまで不調を来たされました。それで気分転換の散歩に出て頂いたんです!」
令宣は顔色を変えると皆の目も憚らず十一娘に向き合い彼女の手を握りしめた。
「何だ!朝から不機嫌だと思っていたらそんな事で悩んでいたのか!?」
皆の手前がある。
十一娘は握られた手を恥ずかしそうに解いた。
「そんな事って…天覧会はそうしょっちゅう催される事じゃありません。仙綾閣は特に注目されています…しくじったらと思うと…」
憂い顔の十一娘に引換え、令宣は晴れ晴れとした顔になった。
「お前が暗い顔をしているからつい…考え過ぎた…そうかそれは気が付いてやらなくて悪かったな」
「そんな…旦那様、旦那様のせいじゃありません」
「お前の心配は私の心配だ…これからは自分の胸に収めず何でも相談しなさい」
「はい…そうします」
令宣の妻を見る目は慈愛に満ちていた。
夫婦は二人の世界に入り込んで居る。
甘い空気が充満した。
桔梗がニヤニヤしながらからかった。
「お二人は甘い物を頼まなくても十分甘いですね!」
萬大顕が軽く頭を下げた。
「ごっつあんです!」
「羨ましかったらお前達も早く所帯を持つんだな」
途端に二人とも黙ってしまった。
臨波が話題を変えた。
「あ、そうだ奥様、今朝暖々小姐からこれを貰いました」
臨波が懐から一枚の紙を取り出して広げてみせた。
そこには墨で丸や色んな線が描かれている。
「何かしら、これ」
臨波が自慢ぽく鼻を蠢かした。
「ふふ…暖々の説明に依ると…実はこの黒丸が俺なんですよ。木刀を持ってるでしょ?そしてこのぐるぐるの渦巻きみたいなのが邱庭師で鎌で草を刈ってるところだそうです。そしてこれが周厨師で包丁をふるって葱を刻んでます、そしてこの丸が門番の…」
桔梗が割り込んだ。
「ちょっとちょっと、私は?私は〜?」
「お前は居ない」
臨波が澄ました顔で即答した。
「これは暖々小姐が今朝見た景色だからな…お前は居ない」
「ガーン」
令宣は感心した。
「暖々が描いたのは徐家で働く人々だな…」
十一娘は満足だった。
「暖々は日頃から徐家の為に働いて下さる人々に感謝の気持ちを持っているんです」
令宣はしみじみと言った。
「大切な事だ…これもお前の教育が行き届いているからだな…感謝の気持ちを表すのは良い事だ」
「そうだわ!!」
突然十一娘が立ち上がったので全員が驚いた。
「な…なんだ」
「旦那様!閃きました!」
「何をだ…?」
「天覧会の主題です」
十一娘は一旦座り直して落ち着くと説明した。
「刺繍の題材が花鳥風月や吉兆瑞祥ばかりとは限りません。暖々は徐家で働く人々を題材に描きました。それで閃いたのですが、お百姓さんが米を育てる有様を一つ一つ描いてみてはどうかと。農家がなさる苦労に私達は刺繍を通して感謝を表せたらと思ったんです。幸い農家出身の子女が仙綾閣には大勢居ます、、、私には無理でも彼女達なら描く事が出来ます」
令宣は感動した。
「成る程…米一粒を作るのに百姓は八十八の手間を掛けると云う。それを刺繍で表すとは…真に意義のある作品になるだろうな…」
臨波達も目を輝かした。
「奥様、良い案です。きっと素晴らしい作品になりますよ。それにしても齢三つの暖々小姐に教えられるとは…」
「早速今から仙綾閣に行って繍女達にこの案を伝えて来るわ。きっと喜んで描いてくれると思うの」
暖々は幼くとも人にとって大切な心の在り方は何かを知っている。
十一娘は暖々の人々に対する眼差しの温かさに教えられた思いだった。