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ありがとうございますニコニコ


さて今日は3月1日です

実はこの時期はできるだけ 静かにしてようかなと思っている時期でもあります

理由は
17年前に母親が亡くなっていたのが発見されたのが

今時期なのです

亡くなっていたのがと表現したのは
発見されたのが 3月5日くらいでそのあとに 私にも連絡がきました

でも 実際に亡くなったのは
2月25日頃だったらしいです

その時はもう 私は父親のところに住んでいて
母親とは 絶縁したいと思っていたんです

もちろん 母親の親族(おばさんや年の離れたいとこ)には 葬儀は親族だけで終わらせる (幸か不幸か母親の実家はお寺です)

私は 葬儀には出ないことを決めました

4歳の時に父親と母親が離婚してから
大人の考えで母親についていくことになりました

その時は私は保育園(でも 当時は幼稚園的な要素が高い所)で 昼間は保育園で夜はといえば
これまた 保育園へ(保育所?)
夜に母親が働きに出るので 母親の仕事が終わるまでそこで 過ごしていました

私はいつも 深夜1時過ぎにお迎え
いつも いちばん最後でした

でも そこの先生があまり好きではなくて
お友達もいつも私にいやな事をしてきました なので やめたいと言ったらやめさせてくれたけど

小学校に上がると 私は夜に1人で留守番です 母親がいないのをいいことに
いつも 夜更かししていました

中学校になっても夜は1人
家にいてもつまらないので いつも遊び歩いていました千葉に引っ越ししてから
母親が夜にいなくなることはなくなったけど 東京に引っ越ししてから しばらくして

母親が脳腫瘍になり手術をしてから
旭川に戻り 母親のおじさんの面倒を見ていました

おじさんは 私たちが世話をしてくれたので
遺産のすべてをあげると申していましたが
その遺産は半分 なにもしていない男にとられてしまいました

母親は 私のものになるからと言って
高級な品々を買い漁り
その結果 借金が1000万にまでふくれあがりました

私のお仕事で稼いだお金はすべて
借金の返済にあてていました

18万すべて
私のものではなくて 母親のものということが耐えきれなくなり
家を出ました

そのわずか 4ヶ月後に亡くなりました

全くをもって
母親に苦労をさせてしまい
たった1人で亡くなってしまい

当時は自分をせめました
でも 私がほしかったのは 高級な品々なんかではなく

ただ普通の生活
全日せいの高校にいくのは無理にしても
定時制の高校に行けていればと思うことが
最近よく思います

でも今は
自分が動こうと思えば
何でもできると思っているので

これからも いろいろがんばっていこうと思います






カレンダーのふくろうのフク

飾ってあるふくろうたちです



それではみなさん

したっけパー




直香龍