【ラジオ放送(恵真さんの声)】

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・ラジオネーム

くりくりパーマ

 

・リクエスト曲

デイ・ドリーム・ビリーバー

・アーティスト

ザ・タイマーズ(忌野清志郎)

 

・宛先番組

夕方やっぱり764(佐々木恵真さん)2020年8月20日放送原稿

 
・コメントメッセージ

エマさん。こんにちは!!毎週木曜日の生放送、楽しみに聴いてます。

一昨日、調子に乗り、またもやパーマをかけ、一段とくりくりになってしまい、くりくり過ぎて悩んでる ”くりくりパーマ” です。

先週はお盆ということもあり、本日は ”お墓参り” へ行くたびに思い出す、今の科学では説明できないであろう ”不思議な体験” をお話ししたいと思います。

あの日、突然、母親から『おばぁちゃんが亡くなった』と知らせを受けました。

その頃の僕と兄は東京勤務で毎日忙しく、本来であれば、直ぐにでも飛んで行きたい気持ちでしたが、そういうわけにもいかず、何とか通夜だけは参列できる時間を作ることができました。

仕事を終えて、僕達、兄弟は車で、通夜に参列するため、志津川のお寺へ向かいました。

東京から無事に到着し、ようやく、ばぁちゃんと対面することができました。

本来なら、思い出話しなど、元気だった頃のばぁちゃんを偲びたいところでしたが、時間の関係上、長居することさえ、叶いませんでした。

久しぶりに会った両親や兄弟、親戚とも、ゆっくり話すこともできず、後ろ髪を引かれる思いで帰ろうとすると、おじさんが少し、嫌みっぽく、こう言いました。

『明日には東京に戻るのか?!葬儀すら出れなのか。サラリーマンは大変だ。忙しいところ、今日はご苦労さん!見送りしないぞ~。見送るとばぁちゃんが一緒について行ってしまうからな!』と。

その時僕は心の中でこう叫びました。


『うるせ~。材木屋!!俺だって、みんなとばぁちゃんを偲びたいよ。好きで東京に戻るわけね~じゃね~か』と。

そして、お寺の駐車場に戻ると、作働させてないはずの ”盗難防止装置” が何故か赤く点滅していました。


当時、流行った ”バイパーセキュリティシステム” です。

思えば、最初の ”シグナル” だったように感じます。

その時は誤作動と解釈し、車を走らせました。

国道45号線の北上川沿いを走ってる時のことです。

僕は気分を落ち着かせそうと ”サザンオールスターズ” の曲をかけました。


すると突然、機械が壊れたかのごとく音量が、大きくなったり、小さくなったりしだしたのです。

『これはおかしいぞ!もしかすると。もしかするな。もうしている!』


と思いましたが、怖くなり、兄には何も言いませんでした。


兄も異変に気づいていた様子でしたが、一言もしゃべりませんでした。

僕は気分を紛らわすため、タバコに火をつけました。


『何かの間違いだ。もう大丈夫だろ。』


と思った矢先、またもや音量が大きくなったり、小さくなったりしたのです。

『そろそろ気づいて~。』と言わんばかりの勢いでした。

この時点で僕達 ”新・ぴんから兄弟” はもう限界です。


恐る恐る助手席に乗っている兄の様子を横目でちらっと確認すると、目をつむり両手を合わせ、ブツブツと拝んでいる兄の肩のあたりに、うっすらと”人影” が見えたのです。

僕はとっさに中山美穂の歌のフレーズを思い出し、兄に向かって、こう言いました。

●僕 『憑(つ)いてるね♬』

■兄 『乗ってるね♬』

兄もこの現象に気づいていたのでしょう。

普段、意見の合わない兄弟でも、こういう時は息がぴったりです。

あとで兄に確認しましたが、お互いの頭をよぎっていたのは、おじさんは ”見送らない” って言いながら ”わざわざ玄関まできて、僕達を見送っていた” ということです。


おまけに ”手まで振ってました”。


あの時ばかりは『あの酔っぱらい野郎の材木屋。ふざけやがって!』と思いましたが・・・。

その後、石巻を通過し、無事に仙台の自宅に到着しました。

駐車場に車を停め、マンション内の郵便ポストへ向かうと・・・。

突然、各戸の全ポストがもの凄い勢い音で ”バタ!バタ!バタ!”と鳴り響きました。


構造上、風も入らない空間なので、ありえない現象です。

エレベーターに乗り、自宅の上層階へと向かうと、今度は住民が飼っているワンちゃんの鳴き声です。

“キャン!キャン!キャン! ”エレベーターでの移動中に各階で鳴いてるのです。

この時ばかりは僕の得意とする ”ニャー” ではありません。

今、考えてみると、あれは1匹や2匹ではなかったと思います。


特に『2階付近』が凄かった記憶があります。

この時点で僕と兄は完全に確信しました。


『ばあちゃんもエレベーターに乗ってる』と。

自宅に入り、直ぐに ”お寺にいる母” に電話をして、帰宅途中にあった出来事を詳しく話しました。

すると、母は『ちょっと待ってて。見てくるね。おばあちゃん、そっち行ったわ。だって顔が笑ってるもの。とってもいい笑顔。亡くなる直前に2人は元気かなの?と何度も聞いてきたしね~』


と明るい声で答えました。

僕達  は母と会話し、さっきまでの恐怖感が一気に消えました。

心が暖まるような不思議な感覚になったのです。


きっと、ばぁちゃんが最後の別れを惜しみ一緒に着いてきてくれたのだなぁと思いました。

今、冷静に振り返ると車の中での兄は、あの優しい、僕の大好きなばぁちゃんを追い払おうと念仏を唱えていたのです。


最後の最後にひどい兄さんだなぁと思いました。


どうせなら僕の背中に乗ってくれたら良かったのになぁと思ったのは言うまでもありません。

その夜は、子供の頃に、ばぁちゃんと花火やカブトムシを採った話しなどの思い出話しで、盛り上がりました。

翌朝、葬儀に行く妹に自宅に寄ってもらい、昨日からの出来事を説明して僕の家で ”すっかりくつろいでいるであろう、ばぁちゃん” を乗せて帰ってもらうことにしました。

その時、僕は心の中でこう言いました『ばぁちゃんの笑顔が大好きでした。葬儀、間もなく始まるよ。妹の車に乗って帰ってください。


最後のドライブは兄弟そろって度肝を抜かれたよ〜。


特に兄貴はね。長い人生お疲れ様でした。ばぁちゃんがいなかったら、僕はこの世に存在してなかったよ。おかげで最高に楽しい人生を歩んでます。そして、本当にありがとう。』

あれから時は流れ、あの大震災の年に僕は東京から復興チームの一員として東北支店への移動を命じられ、ばあちゃんの古里である南三陸町志津川の営業担当者となり、意を決して現地に乗り込むのでした。

つづく

エマさん、こんな私についてどう思いますか?