またもスタッフとして関わっている作品がある。
でも今までとは違うカタチ。
ありがたいことに「制作+出演」である。
3年前、スタッフとしての活動を本格的に始め、
「演じる」ことから遠ざかっていた。
そんなホコリだらけになってしまった自分に、
「是非出ていただきたい」
と声を掛けてくれることのありがたさたるや。
改めて、感謝を忘れないと共に、
スタッフとしての仕事にも力が漲る。
今回は大阪が舞台の作品。
制作も高槻市近辺をベースに組み立てていく。
美術部に、現役学生さんが来てくれている。
先日奈良県で出会った学生さんで、
「将来は美術部として働きたい」と言っていた。
自分は映像系の学校には通っていないので、
基本をイチから教えてもらえる環境にいることを羨ましいと思った。
と同時に、将来本気で生業にしたいのなら、
遅かれ早かれ、外での経験が必要だと考える。
そこで、「来てくれないか」と誘ってみたところ、
「是非お願いします」と二つ返事。
「将来は美術部として働きたい」と言った言葉はホンモノだと思った。
いろんな順序をすっ飛ばして、いきなりチーフとしての大抜擢である。
恐いに違いない。
案の定というと失礼だが、回想用にスマホ動画を撮影した際は、
「恐くて何したらいいか真っ白でした」と言っていた。
そんな時、エンターテイナーとしての自分のスイッチが入る。
「最後に達成感と感動を味わってほしい」
この業界に居て常々思うのは、年齢など関係ないということ。
責任から逃れ続け、誰でもできる仕事に名乗りをあげるおじさんもいれば、
失敗を恐れず、「何かできること」を自分の頭で考え動く若者。
自分と関わるからには、幸せになってほしい。
いつからか自分の原動力にもなっていたこのサービス精神が、
あからさまに湧き立っている。
「オレは優しくはありたいけど、甘くはなりたくない」
20代前半の学生さんにはしんどいと思われるかもしれない。
本気で向き合わない限り、そこに「影響」は生まれない。
「しんどかった。もう関わりたくない」
と思われるか、
「あのチームに出逢えてよかった」
と思ってもらえるか。
辛さの先にある感動を見せてあげられないのなら、
前を歩く資格はない。
自分の背中は常に見られている。
後輩を育てるのも、娘を育てるのも、大切なことは同じこと。
夢を語るなら、夢を見せてやれ。