入院中の私の病状ですが

入院して10日がすぎる頃には

酸素の流量が安静2ℓ、労作時5から7ℓぐらいに

なっていました。

 

主治医が

運ばれて来た時14ℓ(14か15だったと思いますが

ちょっと記憶が曖昧です)吸ってて、

この人流量何ℓ吸いながら家に帰るんだろうと

思っていたけど、こんなに早く流量が下がった人

今までいないと仰ったので、

 

私、ここの病院ご老人多いからじゃない?

なんだったら酸素無しで帰れるんじゃね?

 

位に軽〜く考えてました。

結果的にはそこから流量が下がる事なく

酸素ボンベと車椅子引っ提げて退院となったのですが泣

 

病状はそんな感じで過ぎていき、

リハビリだけが楽しみな毎日になっていました。

初めは重患用の個室では

ベッドの上で足だけです。

個室に移ってからはベッド横に立って

ストレッチ。

立っているのも結構大変で

めっちゃ重力感じるネガティブ

宇宙から戻った前澤さんこんな感じなのか。

 

初めてリハビリ室に行った時は

ちょっとしたお出かけ気分ウインク

でも車椅子で連れて行ってもらったのに

息切れと咳き込み酷くて、何も出来ず

ホントにリハ室行っただけ。

歩いてないのに何で⁉️って感じでした。

 

ストレッチは大変でしたが、リハの先生と

お話できるのが楽しみでした。

具合わるいと咳き込んであんまりお話出来ない時も

あったのですが、会話の中から色んな事

汲み取って、先生に伝えてくれたり、

肋骨がおかしくてという私のために

色々調べて教えてくれたり。

内面的に凄く支えて頂きました。

 

私が最初、娘の私立の受験までに

帰りたかったし帰れると思っていたこと。

それがダメで次の目標は娘の誕生日。

第一志望に受かったら一人暮らしだから

一緒にお誕生日お祝いできるの最後だから

本人がいらないって言ってもホールケーキ買って

ろうそく立ててお祝いしたかった。

でもこれも出来そうになく

ネットでティファニーのネックレス買って

(初めてちょっと高価な物を奮発しました)

母に渡してもらった。

その次は娘の前期試験。

この第一志望に行きたいがために

去年後期で受かった国立を辞退し

あえて浪人してしまった。

せめてお家から行ってらっしゃいって

見送ってあげたかった。

 

一体いつ退院できるんだろうえーん

なんとか合格発表の日には

一緒にいたい。

合格なら一緒に喜びたいし

もしもダメならそばにいてあげたい。

それに合格したら

私がいないまま引越しさせるなんて

絶対嫌だ。

 

なんて話をリハの先生にお話してたら

先生にも伝わっていて

3月〇日に退院したいんだよねって

なって、全てがそこを目標に

動き始めた。

 

ただ身体はそんなに動ける様になってなかったから

自分でも少し不安だったけど。

リハの先生が本当にダメなら

先生が退院の許可出さないから大丈夫ですよって

言ってくれました。

 

いつも夜中に酸素下がってもナースコール押さない事も

気にしてくれて、最後の最後にリハの先生にだけ

世にも恐しい看護師さんの事愚痴っちゃいましたウインク

 

入院中、心の中のモヤモヤを聞いてくれる存在って

ありがたいですニヤニヤ

 

つづく

 

 

 

安倍元総理のご冥福を心よりお祈りいたします。