パクリの奥義 | ほのぼの街のほんわか通りに、ふわっと風がふく

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笑顔がにじみ出る(はずの)
「ゆるイラスト」とともに、
なんてことはない日常をつづったエッセイ

 椎名誠さんのスーパーエッセイのファンです。ちなみに私のこのブログタイトル、椎名誠さんの面白新鮮人間紀行『インドでわしも考えた』からきているのです、で、そのタイトルは堀田善衛さんの『インドで考えたこと』という本のタイトルから派生したものだったと記憶しています。つまり、『インドで考えたこと』→『インドでわしも考えた』→『アメリカで私も考えた』となったわけなのです。びーちゃんとおーくんはおまけで、くっついてます。

 「~となったわけなのです」などとまるで自然にそうなったようにさらりと流そうとしていますが、故意にパクったといえばパクったわけです。といっても椎名誠さんから文句を言われる心配は全くいたしておりません。知る人ぞ知る、その知る人もわずか、そしてそのわずかな知る人も読んでくれない、まあ未公開同然の私のプログ・エッセイが椎名誠さんの目にとまることはありえない。物理的に不可能なことが起こって、たとえ目にとまっても、「五十歩百歩」、五十歩逃げた人が百歩逃げた人を笑えない、で勘弁してもらえる。椎名さんの本5冊持ってるし、もらったのだけど。

 いやいや勘弁してもらえようがなかろうが、パクリはやはりよくない、倫理的に恥ずべき行為です。しかし、誘惑はとても魅力的なんです。たとえば先週金曜の私のブログ・エッセイで、うちの息子が日本ではスーパーサイズキッドであったことを書きました。それを殊勝にも読んでくれた友人から「うちの子もそうだったのよ~」というメールをいただきました。ちなみに友人のだんなさまはアメリカの方です。日本のモールの子供広場で遊ばせていた時、知らないお父さんから「あれ、おたくのお子さん?うちの子まだ5歳なんだから、もうちょっと小さい子に気をつけて遊ばせてくださいよ」と言われ「でもうちの子、4歳なんですけど」の逆襲にそのお父さんしばし絶句していたそう。小1の時は「僕、何年生?」と聞かれて息子さんが元気に「いちねんせい!」と答えると「ふーん中1か」と言った床屋さんもいたとか。あ~ん、友人のエピソードのほうが、私のよりずっと面白い~! 事前に聞いていたら、出来ることなら許されるなら、パクリたかった~

 パクリ疑惑で有名な今をときめくゴールデンボンバーの鬼龍院翔さんは曲作りで他の方の曲の一部を「拝借しました!」と明るく認めてらっしゃる。そのかわいい明るさで怒る気にもならない。かのユーミンでさえ、、、私がユーミンってやっぱり天才! ユーミンでなきゃ書けないよこんな歌詞!ってずっと思っていた部分が実は、、、「魔法のくすり」っていうのはね、だれだっけな、だれの詩だっけな。やっぱりね、フランス詩集でね、男はいつも最初の恋人になりたがり、女は誰も最後の愛人でいたいというのを盗作したの。、、、ってご本人の本で書面ではっきり宣言してらっしゃる。いや~さすが我らがユーミン、潔い! どこぞの政治家のように言ってることを二転三転させて逃げようなんてしませんよ。
$アメリカで私もぴーちゃんもおーくんも考えた、、、金曜エッセイ-11.29.13

 中国で売られている「まつさかぎゅう」はオリジナルだと言い張りコピーしたことを認めない姿勢はあまりにもかわいげがない、ということを激しく知るべきなのである。パクリはみんなで陽気に認めちゃえばこわくない!と力強くつぶやいてみる。力強くつぶやくなんていうのはちょっとヘンかもしれないけれど、まあとにかくそういうかんじなのだ、、、椎名誠風というか、はい、パクリでーす!


*おまけ画像*
昨日の我が家のThanksgiving Dinnerです、、、といって、お料理上手な友人が届けてくださったパイをあたかも自分が作ったかのように見せかけるのもパクリの一種でしょうか???
$アメリカで私もぴーちゃんもおーくんも考えた、、、金曜エッセイ-11.29.13 B