「GO HOME!」 | 栗城史多オフィシャルブログ Powered by Ameba

「GO HOME!」

GO HOME!」何度もこの言葉を口にしました。

僕がレスキューした台湾隊のリーダーが、今朝お礼に栗城隊のベースキャンプに来てくれました。

24
日の登頂の後、もう一つの大きな試練が待っていました。

僕が登頂後の下山中、後ろには台湾隊
2名と台湾隊シェルパ1名がいましたが、突然、台湾隊メンバーの1人がうずくまり、動かなくなってしまいました。

僕は調子が悪いのかと思って声を掛けたところ、どんどん身体が動かなくなり、目が開いていない状態でした。

残りの台湾隊
1名と台湾隊シェルパ1名も座って見ているだけで、何が起きているのか、恐らくよくわかっていなかったのだと思います。

台湾隊の
1名から「オキシジェン(酸素)」という声が聞こえましたが、僕も含めて誰も酸素ボンベを持っていませんでした。

どんどん動かなくなる台湾隊メンバー。

高度
8000mの世界でこのまま動かないという事は、死が待っているということです。

前方にセブンサミット・クラブのシェルパがいて、その人が酸素を吸っている姿を見たので、僕はその人に駆け寄り、つたない英語で必死に後ろの台湾人に酸素を吸わせてあげて欲しいと伝えました。

彼も他の人を連れて登っていましたが、事の重大さに気付き、一緒に倒れている台湾人のところに駆けつけてくれて、酸素を吸わせてあげました。

8000m
の世界で身を守るには、酸素があることと標高を下げることが必要です。

セブンサミット・クラブのシェルパの酸素を口にあてて、これで少しは安心かと思いましたが、その酸素は残りわずかでした。

そのため、彼を何としても早く安全な標高まで下げる必要があり、全く動かない彼の身体を揺すり、「
GO HOME!」と声を掛け続けました。

ブロードピークの山頂からコルまでは厳しい岩稜があり、全く動けない彼を下ろすには本当に過酷な状況でした。

とにかく彼を起こして動けるだけ動き、たまたま台湾隊の一人がロープを持っていたので、そのロープをセブンサミット・クラブのシェルパと僕が使って、台湾人を必死に下ろしました。

彼をロープで下ろすために、ミトン(厚い手袋)を外し、セブンサミット・クラブのシェルパと二人でロープを使い、また彼の安全環付き
カラビナに手を掛け落ちないようにしました。

ところがコルまではまだ距離があり、時間も掛かります。

僕は彼に「
GO HOME! YOU ARE ALIVE!」と声を掛け、身体をゆっくり揺すりました。

自分自身、登頂して下山するだけでもいっぱいいっぱいの状況であり、自分がやっている事が遠い夢の世界の出来事のように感じて、きちんと意識を持たないといけないと思い何度も腹式呼吸をして「
GO HOME! YOU ARE ALIVE!」と自分に向けても叫んでいるようでした。

すぐに状況をベースキャンプに無線で伝え、門谷くんとアミンさん(ベースマネージャー)が、他の隊で酸素を持っていないか交渉しに行ってくれました。

本来は台湾隊のベースキャンプメンバーがその動きをしなければいけませんが、ただ呆然として悲しんでいるようで、どうしていいのかわからないようでした。

すぐに門谷くんから、コルに韓国隊の酸素ボンベがあるから、それをエマージェンシー用として使うように無線が入りました。

この状況で機転をきかせてエマージェンシー用として使ってという連絡が、嬉しかったです。

それを聞いて、僕は台湾人にコルまで行けば酸素ボンベがあるから必ず生きて帰れると伝えました。

午後からは風が強くなるという予報もあり、栗城隊ベースキャンプでは栗城が戻って来られなくなるのではと心配していました。

確かに僕は疲労と低酸素で、時々意識が途切れそうになっていたのも事実です。

それでも自分に言い聞かせて集中力を保ち、彼に声を掛けて一緒に下りて行きました。

残りの台湾隊メンバーもかなり疲れているようだったので、僕とセブンサミット・クラブのシェルパの二人で彼を連れて、無事にコルまで着きました。

コルでは別のセブンサミット・クラブのシェルパが酸素を持っていて、その彼の新しい酸素に変えることができました。

一緒にレスキューにあたったセブンサミット・クラブのシェルパは疲れて横になり、僕も眠気が襲ってきていました。

低酸素で強風になると、凍傷の可能性が高くなります。

ミトンを外し薄手の手袋でレスキューしていたのはリスクが高かったですが、幸い風は弱く気温も高かったので、指は無事でした。

僕はもう一人の台湾人メンバーに、「彼はとてもラッキーだ。ベースキャンプで会おう。」と伝え、下山しました。

新しい酸素を吸った彼の目ははっきりと開き、マスク越しに「サンキュー」という言葉が聞こえました。

そして標高
6,900mまでの下山中、すでに日は暮れてしまいました。

疲労とのどの渇きから、冗談で門谷君に「ビールある?」と無線で聞くと、「そんなものある訳ないでしょ」という答えが返ってきました。

6,900m
のテントに着いてから何度も嘔吐を繰り返し、あの標高に居続けたことの反動が襲ってきました。

それでも台湾人の彼が無事にキャンプに着き、そして今日ベースキャンプからヘリで街へ帰っていきました。

帰る前に体調不良の彼に会う事はできませんでしたが、ヘリに乗った彼と窓越しに目が合った気がしました。

GO HOME!」は台湾人の彼に言いながら、実は自分にも言い聞かせていたようでした。

「家に帰るまでが、登山」と山の先輩に昔から言われていました。

僕は無事です。

皆さん、応援ありがとうございます。






※登頂の栗城カメラ映像はこちら