ヒマラヤに復帰します
6月24日から、パキスタンの8000m峰ブロードピーク8,047mに再び単独・無酸素で向かい、ヒマラヤに復帰ます。
実はかなり前から復帰に向けて動いていて、指の問題を含めて様々な課題はありますが、先日の八ヶ岳でのトレーニングとリハビリの中で決めました。
2012年秋季エベレスト西稜の下山中、僕は重度の凍傷になり、それから長く時が止まっていました。
あの下山中に吹く極寒の暴風と低酸素が、両手両足と鼻を凍らせ、両手9本の指の第二関節から先を失う事になりました。
それから1年6ヶ月の長い治療。
幹細胞を使った再生治療やリハビリを続け、今はアメリカの細胞外マトリクスを使った治療を続けています。全部元に戻るわけではないと思いますが、若干伸びてきた感じはあります。(現在も治療は継続中です。)
不思議なのは、今まで落ち込むことはあってももう山は無理だという想いが頭をよぎることはなく、ヒマラヤへの想いは消えず、気が付けばそこに向かうために出来る限りの事を続けてきていました。
「お前はまた山に向かう」
凍傷になってから退院直前の父の言葉。
2012年、初めて重症で帰ってきた後、僕はなかなか父に電話ができませんでした。
電話をすると父は大きな声で「おめでとう」と言ってくれました。
「何がおめでとうなの?」と聞くと、「生きて帰って来たことにおめでとう。」と、もう一つは、「お前はまたその苦しみを背負ってまた山に向かう事ができる、それは素晴らしい事だよ。」
父は、僕がここで終わらないことを知っていました。
そして、応援してくれたのです。(いつも心配かけてごめんなさい。)
先日、故郷の今金町で講演した時に父は一番後ろで講演を聞き、ご機嫌だったのか懇親会では得意のハーモニカを吹き、東京から来たお客さんには中国の二胡を演奏していたそうです。
ここで終わるはずはない。
この苦しみを喜びに変えるために。あの深くて青い世界と一緒になるために。
パキスタンのブロードピーク8047mに向かいます。
またこの苦しみがあったからこそ学んだこと、そして沢山の出会いがありました。
改めて、苦しみは決して悪いものではなく、自分を成長させてくれる素晴らしい贈り物だと感じました。
本来であれば秋季エベレストに向かいたい気持ちもありますが、まずは8000m峰から復帰し、無酸素で登るための身体を時間を掛けて作っていきたいと思います。
まだまだこの指ではできない課題もあります。
資金の問題もあります。
それらを一つ一つ乗り越えて、皆さんと冒険を共有しながら、再び深い青の世界に向かって行きたいと思います。
明るく元気に楽しんで、全てに感謝。
明日からは、西穂高に向かいます。
それでは行ってきます。
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