栗城史多号 発射準備へ(エベレスト西稜登頂まであと8日) | 栗城史多オフィシャルブログ Powered by Ameba

栗城史多号 発射準備へ(エベレスト西稜登頂まであと8日)


 そこから見える景色は、山を眺めているのではなく、また空を眺めているのでもなく、宇宙に通じる道を眺めているのであった。


 
922日深夜3時。標高6400mのキャンプ2から、エベレストに向かって左側の巨大な稜線に向かって行く。以前は、まっすぐローツェの通常ルートの方へ向かって行くのだが、「西稜」という僕にとっては未知の世界に向かって行く。

 まだ太陽は出ず、ゴツゴツとした岩や石、そして突然現れる氷塔を縫うように登って行く。酸素はあるが、まるで惑星を探索しているかのようだ。

 徐々に薄くなる空気。
6400mまでなら身体が少し重いと感じる程度だが、7000m近くになると誰もが日常生活のように動くことはできず、重力が2倍の圧力で身体を重く感じさせる。

 軽量のアイスバイルを重く感じ、あれだけ計算して担いだザックが、ジリジリと僕を後ろに引っ張ろうとする。そして傾斜がきつくなり、西稜への壁が進む僕の足を振り払おうとした。

 だが、僕にはそれがヒマラヤであることを知っており、驚くこともなく、ただ新しい道を楽しむように登り続けていた。持って行きたいものはいっぱいある。食べ物も飲み物も暖かい寝袋も。これを持って行けば快適じゃないかと思うのはいっぱいあるが、全てを削ぎ落として、生中継の送信機以外の余計な物はベースキャンプに置いて行った。

 
3日分の食料と燃料、軽量のヘッドランプにガスヘッド。薄いマットに+2度までの極薄の寝袋と厚手の靴下だけを持って来ていた。

 正午に日本との中継が待っていた。それに合わせて逆算して午前
3時に出発し、稜線近くまで計算通りに辿り着くことができた。

 低酸素の影響はあっても心も身体も充分戦える準備ができているようだった。モンスーンが間もなく明けようとしており、稜線には猛烈な風が吹いていた。

 僕は、稜線から
100m下の岩の上で中継を試そうとするが、中継基地があるプモリ•レイクを見る事ができなかった。

 見通しがないということは電波が強力でも飛ばす事はできない。点と点、線と線を結ぶかのようにわずかなずれや障害物が映像の伝送を止めてしまう。

 それだけ生中継で世界と繋がるということは難しいことだった。

 この場所で中継ができないと知るが、状況を考えると落ちこんでいる場合ではなかった。今、自分が立っている場所は雪壁から更に
90度もある岩を3m登ったところであり、面積も畳約2枚分しかなかった。

 今晩はここにテントを張ることになるだろう。幅
1mのテントがはみ出るギリギリの場所でテントを張る。強風が吹けば吹き飛ばされること間違いないが、ジャンボジェットのようにゴーという猛烈な風が吹き荒れる稜線に出れば、確実に凧のようにヒマラヤの空を舞うことになる。

 もうテントを張ることができる場所は、ここしかない。下を眺めると言葉が出ない程の高度感を感じるが、テントの中に入れば外の高度を感じることはなかった。

 しかし気圧が低く、血液が沸騰するかのうように全身に力が入らない。それでも岩にこびり付いた氷を溶かし、お湯を湧かして飲み続け血液を薄くしようとした。

 太陽がヌプツェにかかり、陽が沈み始めるとテントの中の気温はガクンと下がり、高所順応
1日目が終わろうとしていた。


 翌日、テントの小窓から西稜のエベレストを眺めた。今までのどっしりとしたエベレストはそこにはなく、壁のように突き抜けたエベレストがあった。空は青ではなく、濃いブルーが広がっており、これを登るということは本当に生きて帰れるのかと思い始める。

 「登る」という言葉では通じない世界がここにはあった。
「これは、宇宙だよ」ふと言葉で出てきた。身体を使って、宇宙に飛び出す。宇宙ということは、酸素はなく、何もない世界。「無」という、生命が生きていくことが許されない世界から帰ってくることがどれだけ大変なことか。圧倒される宇宙を眺めながら、僕はそこに向かう運命を感じ始めていた。

 夜、再びテントの中は氷漬けになっていた。寝袋の中も真っ白に氷漬けになっており、股関節や背骨の芯まで漬けられていた。「どうしてこんなに寒いんだ!」と叫んでも意味は無く、寒さが宇宙の一部であり、それを受け入れようと身体を丸くすると、誰かが僕に声を掛け始めていた。

 声の主は日本人で、複数いるように感じていた。はっきりと聞こえたのは、「おい!テントが落ちるぞ」と聞こえ、眠気の取れない僕は「はい、先生」とぼやけた声で答えた。

 幻聴なのか、本当に誰かがそこにいたのかわかならい。だが、すでに宇宙に入り始めた僕は目では見えない何かが存在することを不思議とは思わなかった。

 果たして、僕は宇宙に入ってそこで何と出会うのか、そして、無事に地球に帰ってこられるのか。人類がこれだけ原始的な方法で宇宙に出られるというチャンスを僕は肌で感じていた。

 「高所ダウン」という宇宙服を着て、「テント」という小型宇宙船を背負い、両手、両足を使って栗城史多号は宇宙に向けて発射します。

 
PS:今、ベースキャンプで最後の準備をしております。体調は、腰痛以外は大丈夫です。

 



写真1 宇宙へ。左がエベレスト西稜、右がローツェ(8516m)です。



写真2 テントの前はこれくらいの広さしかありません。釣りがしたいな。



写真3 この宇宙船は極寒です。そして、夜は誰かが声をかけてきます。